スポーツという名の戦争

北京オリンピックがついに開幕。開会式の一糸乱れぬ踊りはとてもすばらしかったですね。

開会式、そして閉会式の演出にはいつも感動しますが、その間に行われる競技は、国別対抗の図式が強すぎて嫌悪感を感じてしまい、実はあまりテレビを見たいと思いません。

オリンピックは参加することに意義がある平和の祭典だったはずなのに、いつの間にか、国家の威信をかけた対抗戦になってしまいました。

競技は国家間の意地や名誉、妬み、嫉妬、そしてお金、が渦巻いています。事実、オリンピックの年には犯罪率が上昇し、国家間の対立が激化するという統計データもあります。ワールドカップの年にも同じような現象があるそうです。

メディアは「頑張れニッポン」を連呼し、メダル獲得数がすべてのような報道を連日繰り返しています。

こうした勝利至上主義のメディアの姿勢は、日本の愛国心を煽るだけに留まらず、国家間の闘争心や憎しみを生み出す根源ではないでしょうか?

オリンピックはメディアと共に発展をしてきましたが、それは同時に、国家がメディアを政治利用することの歴史でもありました。

オリンピックを政治に最初に利用したのは、ベルリン大会でのヒトラーでしょう。開会式に詰めかけた10万人の観衆らは右手を掲げ「ハイル・ヒトラー」を唱和し、ナチスの優秀性をアピールしました。

その後、モスクワ大会とロサンゼルス大会では、ボイコットが続出。東西冷戦の政治的な意味合いの強い大会になり、スポーツの祭典ではなくなりました。

その後のアトランタ大会からは、IOCの戦略転換により、オリンピックは商業化の道を進みだしました。オリンピックは競技から巨額なマネーを動かす手段になりました。

そして、今回の北京大会。チベット紛争の解決、四川大地震の復旧、よりもオリンピック開催を優先する中国政府と各国の対立という、政治問題を再び表面化させ、もはや、オリンピックはスポーツというよりも、政治と商業の道具と化しています。

オリンピックはどこに行くのでしょうか?国家間の憎しみを助長するイベントに人々が熱狂することに本当に意味があるのでしょうか?

メディアに洗脳され、「ニッポン」を連呼する我々も、もう一度冷静に考え行動すべきだと思います。愛国心を煽るマスコミの報道は、まるで日清戦争に日本を駆り立てたそれと同じに見えなくもありません。

視点を切り替えると、死者を生み出さない平和な「スポーツ戦争」が、国家間の敵対心を消化させているという効能があるともいえます。

実際戦争するよりもマシということかもしれませんが...

純粋に各国が参加することに意義があり、メダルの数を競うのではなく、参加を通じて、どれだけ国際交流ができたかが評価させるようなオリンピックになってもらいたいものです。古代オリンピックの精神に則って。

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ついに始まった

先々週、金融危機について書きましたが、その直後に、アメリカの住宅金融抵当公庫の2社である、ファニーメイ社とフレディマック社の経営悪化が表面化して株価が暴落、連日この話題でニュース報道がされてます。

ファニーメイ社とフレディマック社は、アメリカの民間銀行などの住宅融資ローンを買い取り、証券化してファンドや投資家、銀行などに販売する政府系の民間金融機関です。

この2社であわせて、なんと5兆ドル!(500兆円)の債券を発行していますが、もはや破綻寸前状態にあります。

米政府がこの2社に対して、先週急遽救済のための融資措置を発表しました。市場は少し落ち着きを取り戻しているようですが、破綻を先送りしただけで、問題が解決した訳ではありません。

この2社の債券はアメリカの国債に次ぐ信用力の高い債券ですから、全世界の投資家、銀行、証券会社がこぞって沢山保有してます。

当然、日本の大手金融機関もそうです。

三菱UFJ銀行は3.3兆円の当社債券を保有していることが判明。この銀行の自己資本金は12兆円ですから、実に自己資本の1/3を失う危険性がでてきた訳です。

他の銀行や生命保険会社も大なり小なり債券を保有してますから、日本の金融機関も今後大変なダメージを受けることでしょう。

今、この事実を知った、日本の大手銀行や生命保険などは、戦々恐々として、アメリカ政府の救済措置を見守っていることでしょうね。

しかし、日本では今回の危機に関して、TVニュースでほとんど報道されません。なぜでしょう?まるで報道規制がされてるかのようです。

TVニュースが国の規制にあってることは周知の事実ですが、このことを知らない人も多いのではないでしょうか?

医者、先生、警察、政府、はすべて正しいのだ、というのは、もはや過去の話。そういう教育で洗脳されてしまってる日本人は、疑うことを知らないことから、そろそろ脱却しないと。

話を元に戻すと、今回の500兆円は、アメリカ政府が全額救済できるレベルの金額ではありません。政府系だからアメリカ政府が全額保証するに違いないと思ってるのでしょうが、それはかなり楽観的で甘すぎる考えです。

500兆円などもはや政府が保証できる次元を超えてますので、いづれこの2社は破綻していくことでしょう。

そうなると、日本の銀行も数行、いや、数十行レベルで破綻するかもしれません。

三菱UFJは私のメインバンクなので、預金をどこか他の銀行に移動させようか、と真剣に考えてます。が、他の銀行も潰れそうなので、結局一緒なんでしょうけど。

アメリカ国債とドルの暴落、それが引き起こすアメリカ金融市場の破綻、そして世界的な恐慌。これらはやっぱり避けられないのでしょうか...

マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術──連鎖崩壊時代の「実践・資産透視学」 マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術──連鎖崩壊時代の「実践・資産透視学」

著者:松藤 民輔
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先日ニュース23にも出演されてましたが、松藤さんの先読みの力はすごいです。サブプライムの問題も数年前から指摘されてました。金鉱山を保有し、これからは金の時代と宣言されてます。

金の時代かどうかはわかりませんが、松藤さんの経済分析は的確で、いつもとても勉強になります。講演会にも何度か参加してますが、いつも話がとても面白いです。

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敬天愛人

歴史上の人物をメンターと仰ぐ人は多い。そんな崇拝する歴史上の人物として必ずリストアップされる人物に西郷隆盛がいる。

西郷サンとして日本人に慕われているが、意外なことに自身では何ひとつとして後世に書物を残してはいない。かわりに、西郷の弟子達が、西郷の教えを書き留めたのが「西郷南洲翁遺訓」である。

この遺訓は、旧薩摩藩の西郷の直弟子でなく、庄内藩の人々によって書かれている。この庄内藩の人々に書かれたというところに西郷らしさが窺える。

庄内藩は幕末時、徳川方幕府側につき、新政府軍側の西郷率いる薩摩藩と戦った。庄内藩は敗北し切腹を覚悟していたが、謹慎を命じられただけで一切処罰されなかった。

「庄内藩は徳川に忠義を尽くした立派な武士である。戦終った今、敗者を辱めるのは人に道義に反する。最大限の敬意を持って対応せよ」というのが西郷の庄内藩に対する態度であった。

これに感動した庄内藩の武士達が、その後西郷を師と仰ぎ、西郷の言葉を書きとめて「西郷南洲翁遺訓」が出来上がったのである。

西郷の座右の銘は「敬天愛人」である。敬天愛人とは、天を敬い、人を愛するという意味で、天命、すなわち人に与えられた運命を受け止めて、人民に仁を以って尽くすべき、という意味である。

天敬とは「天を相手にする」という意味でもある。常に天を相手にしてると思い、心穏やかにせよ、というのが西郷の教えである。

我々の仕事は自分だけで完結しないため、他人のせいで失敗することも多い。失敗すれば、上司や部下、取引先に対して腹を立てる。

これは、人を相手にするから腹が立つのであって、天を相手にしてると思えば、腹も立たない。

雨風のせいで電車が止まり、商談が破談になったとしても、誰も雨風を恨んだりはしない。しょうがないと諦める。

他人のせいで例え被害にあったとしても「雨風のせいだ」と思えれば、恨みや憎しみに心を奪われることはない。

すなわち、「人を相手にせず、天を相手にせよ」することが肝要であると西郷は教えている。

西郷は、2度に亘る島流しを経験し、いつ死するともわからなかったにも関らず、恨み言や泣き言ひとつ言わず、淡々と己の天命を受け止めた。その結果、その後の倒幕活動の立役者に復活できた。

その西郷が語るだけに説得力がある教えである。

この南洲翁遺訓は、リーダー論、政治(経営)論、経済論、など、現在に通じる教えは多い。例えば、リーダーとして部下の昇格の仕方についても参考になる。

西郷は、「組織で大いなる功績を残したからといって、高い地位を与えてはいけない。功績には金銭で報いるべきである。1つの仕事で功績をあげたことと、より高い地位で職務を全うする実力があることは別問題である。」と説く。

これは中国の尚書にある「道徳心のある者は高い地位に就き、仕事をこなす者は金持ちになる」という考え方と同じである。

南洲翁遺訓は混迷の時代である今を生きる我々が読み継ぐべき著書のひとつである。

話し言葉で読める「西郷南洲翁遺訓」 無事は有事のごとく、有事は無事のごとく (PHP文庫) 話し言葉で読める「西郷南洲翁遺訓」 無事は有事のごとく、有事は無事のごとく (PHP文庫)

著者:長尾 剛
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金融恐慌カウントダウン

北海道洞爺湖サミットが先ほど閉幕した。

サミットのメインテーマは、原油高、食糧高問題を差し置いて、地球温暖化対策であったが、「2050年までの温室効果ガス排出量半減」という世界全体の長期目標について、「すべての国との共有を求める」と宣言し、国連交渉での採択を求めた。

すなわち、目標の「共有」だけで閉幕した訳である。

環境問題の目標共有のために、600億円(!)もの税金がサミット開催のために拠出されたのも憤慨ものだが、CO2が本当の原因か証明されていない(というより、CO2は温暖化の原因でない可能性は高い)環境問題を話し合うよりも先に、解決しなければならないのは経済問題である。

これだけの税金を使うのであれば、今回のサミットのテーマとして真剣に「金融恐慌対策」を打ち出してもらいたかった。

サミットの公の場で、現在の金融市場で何が起きようとしているか、どんな恐慌が訪れるかを公表できない事情はよくわかる。公表すれば、それがパニックを引きおこすであろう。恐らく、会議の裏側では非公式に経済対策が何度も打ち合わせされたと思う。

サブプライム問題の本質

サブプライムとは信用力の低い低所得者向けのローンである。元来返済能力のない人々に銀行は次々に融資をした。

なぜなら、住宅価格が上昇しており、返済できなくても物件を差し押さえれば元が取れるのに加えて、サブプライムローンを証券化して、デフォルトリスクを他社に販売できたからである。銀行にとっては、リスクがない儲け話だったのである。

ところが、住宅価格が下落を開始し、サブプライムローンはデフォルトが起こし始めると、証券化された商品も次々とデフォルトに陥った。

この「証券化」という行為は金融工学から生み出された、いわば、「ババ引きゲーム」商品である。サブプライムというデフォルト率が高い債券に別の債券を組み合わせ、新たに債券商品化する。

その際に信用格付機関が、事もあろうか、金融工学の不可思議な計算式の元、AAAなどの高い格付に変えてしまい、これをモノラインと呼ばれる金融保障会社が保障する形での優良商品に再生し、それを金融機関や証券会社、ヘッジファンドに販売しまくったのである。

今、債券商品の市場は、上記仕組みの商品であるCDO(Collateralized Debt Obligation:債務担保証券)が中心になっており、その規模は何と50兆ドル(5,500兆円!!)にも膨れ上がっている。

サブプライムローンがすべてデフォルトになったとしても、高々2,000億ドル(20兆円)程度の破綻にすぎない。ローンを借りた低所得者が家を失い、2、3の銀行が破綻するかもしれないが、これぐらいでは金融恐慌などになりはしない。

怖いのは、サブプライムのデフォルトが引き起こすことが引き金になって、CDO中心の5500兆円規模の債券市場がデフォルトというパニックに陥ることである。

サブプライムローンの問題は、今や5,500兆円の債券市場のデフォルトという問題になりつつあるのである。ちなみに、全世界の株式市場の時価総額は7,000兆円。5,500兆円の金融市場の大きさは、実経済市場に匹敵する規模に膨れ上がっている。

債券市場がデフォルトに陥れば、全世界の金融機関の大部分が倒産するであろう。なぜなら、このババ引きゲームに参加してない金融機関はほとんど存在しないからである。

サブプライムの問題の本質とはこういうことなのである。単に低所得者がローンが返せなくなって可愛そうということではない大変な事態なのである。

これは、90年の日本のバブル崩壊に似ているが、違うのは、証券化という金融工学の粋を極めたその手法にある。この金融工学は元手の資本の何百倍というレバレッジをかけることができるため、被害も何百倍に膨れ上がる仕組みなのである。

日本のバブル崩壊は日本だけの問題であったが、今回のサブプライムバブルの崩壊は、日本のそれとはレベルが違う。今度は米国から全世界的に波及して、世界的な金融恐慌に発展しつつある。

世界恐慌への道

今年3月に米大手証券会社のベアー・スタンズが破綻したが、FRBはJPモルガンチェース銀行を経由して、300億ドル(3兆円)の公的支援を実施した。大手銀行ではなく、全米5位の証券会社1社を国が救済したのだ。

救済するのには理由があった。なぜなら、ベアー・スタンズはCDO、債券市場で全米No.1の残高を持っているからである。これが破綻すると5,500兆円の債券市場はパニックになる。そのためFRBのバーナンキ議長は、異例と思える支援を行った。

しかし時既に遅しの感がある。

バーナンキはサブプライム問題を見誤った。2007年時点では、1,000億ドル(10兆円)の損失程度にしか考えていなかった。2007年中にCDO市場への公的資金投入などの何らかの手立てを施せば、まだ軽症で終ってたかもしれない。

このCDOという商品は、その商品生成過程において、あらゆる金融機関が複雑にからみあってるため、何が破綻すれば、どこの金融機関が破綻するか、もはや誰にもわからなくなっている。

今となってはベアー・スタンズだけでなく、シティバンクは破産寸前であるし、モノライン大手のアムバックとレーディアンは株式売買停止状態。米金融機関の破綻はこれからも後を絶たないであろう。

バーナンキは今に至って、元々米国が打ち出した、時価総額基準の見直しを言い出している。今時価総額による資産評価をされたら、米国の金融機関の大部分が破綻すると、FRB議長自らが宣言してるようなものである。

米国の金融機関が破綻するとNYKダウは11,000ドルから6,000ドルぐらいまで下落するかもしれない。そうなると、米経済がまず破綻し、続いて、米国への輸出依存してる中国経済(既に今年に入って株価指数が半減してるが)も破綻する。そうなると全世界的な恐慌へと発展するであろう。

我々は、1929年に経験した世界的な金融恐慌と同じか、それを超える恐慌のスタートラインに既に立っているのである。恐慌まであと1年もつか、2年持つか、FRBの対応と、CDOの仕組みと連鎖がどの程度ひどい状況になっているかによるが、いづれにせよ、恐らく誰にも止められないであろう、カウントダウンはすでに始まっている。

連鎖する大暴落―静かに恐慌化する世界 連鎖する大暴落―静かに恐慌化する世界

著者:副島 隆彦
販売元:徳間書店
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副島氏は、今日本で一番世界経済が見えてる論客の一人である。サブプライム問題も数年前から指摘されており、エコノミストと呼ばれる学者に比べ、先見の明は数段高い。世界経済で何が起きてるかを理解するためにも、今是非とも一読してもらいたい本の一つである。

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役割

明治維新の一番の立役者は誰か?と聞かれれば、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の「維新三傑」を挙げる人もいれば、吉田松陰、坂本竜馬、高杉晋作、勝海舟、を思い浮かべる人もいるであろう。

答えは「全員」であろう。

なぜなら、誰一人欠けていても、明治維新は成り得なかったと思わせるほど、この時代の歴史は巧みなまでのストーリー展開を描いているからである。それはいわば「神が仕組んだ完璧なるシナリオ」、の如きだ。

倒幕志士の中においても、演じた「役割」という意味で、西郷隆盛と大久保利通の二人は特に印象的である。

理の大久保と仁の西郷、明治維新にはこの2つの力が必要であった。

新時代を切り開くためには、大久保の持つ、論理的で策士的な政治力と、冷静さ、冷酷さによって、古き習慣を打破し、西洋の新しい文化や制度を積極的に取り入れなければならなかった。

その一方で、人民や武士の心を一つに束ねて大改革を推進するためには、西郷の持つ、徳高く、心優しきリーダーシップが必要だった。

理と仁、この2つがないと大事は成しえない。

二人のどちらが欠けても明治維新は達成できなかった。明治維新後も、二人は、それこそ二人三脚で改革を進めた。が、その後征韓論で両名はその袂を分かち、最後は西南戦争で争うことになった。

晩年の西郷の行動には疑問が多い。

なぜ征韓論にあれほど固執したのであろうか?なぜ征韓論が通らないだけの理由で大事な官職を投げ打ち薩摩に下野したのか?なぜ西南戦争を仕掛けたのであろうか?

それは憤る薩摩の門下生や士族の気持ちを汲み取った、西郷の優しさと情けのなせる業だとも言われてもいるが、そうではないであろう。勝てない戦を仕掛け、大切な門下生を死なせることが如何に愚かな事かは西郷が一番わかっていたはずである。

にもかかわらず、西南戦争を仕掛け、城山で自害した。なぜか?

それは、西郷がそれを意識していたかどうかは別として「自分の最後の役割を演じる必要があったから」ではなかろうか。

最後の役割、それは、明治政府の秩禄処分や帯刀制度の撤廃により、生きる術を失い反政府分子となった士族を、新しい日本から一掃する役割、である。

事実、西南戦争後、士族による武力による反政府活動は完全に収まった。西郷の死をもって、武士の時代は終焉を迎えたのである。

そして、その役割を演じ終えたかのように、大久保もまた翌年暗殺された。

西郷と大久保、この二人の生き様を読み解くと、人生には決められた役割とシナリオが存在する、と思わずはいられない。

我々にも生きる上で演じなければならない役割があるのかもしれない。会社だと、社長になる役割、No.2の役割、あるいは、名脇役として影で会社を支える役割などがその役割にあたる。会社だけでない。プライベートにも大切な役割があるだろう。

自分の役割は何なのか?それに気がつけば、自分の生きていく道も自ずと明らかになるのであろう。

翔ぶが如く〈1〉 (文春文庫) 翔ぶが如く〈1〉 (文春文庫)

著者:司馬 遼太郎
販売元:文藝春秋
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西郷と大久保の生き様を描いた長編小説。最初は歴史の勉強の様相を呈しているが、西南戦争の件から、物語は急速に展開していく。西郷と大久保の二人の生き様をリアルに描いている。

西郷隆盛 (角川文庫) 西郷隆盛 (角川文庫)

著者:池波 正太郎
販売元:角川書店
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西郷隆盛の生涯を綴った物語。西郷の人格の高さと教育者の側面を描いた池波正太郎の隠れた傑作。

大久保利通 (講談社学術文庫) 大久保利通 (講談社学術文庫)

著者:佐々木 克
販売元:講談社
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西郷に比べ、人気のない大久保利通であるが、大久保なしに、明治維新が成立たなかったことを、大久保にゆかりのある人物のインタビューを交えて紹介している。西郷に対する複雑な思いなどを、当人の立場になって読むと実に感慨深い。

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食糧難の時代

食品偽装問題が頻繁に報道されている。今度はウナギらしい。

中国から輸入したウナギを国産と偽るのは業界の常識らしいので、関係者からすると今更何をという感じらしいが、我々消費者にとっては食の安全ブームの中、その関心は高い。

中国からの食品輸入を一部ストップせよとの議論もあるが、もはや我々日本人は食糧の輸入なしには生きていけないのことを、どこまで認識しての発言なのか疑問だ。

日本の食糧需給率は39%。アメリカやフランスが130%、ドイツが84%、イギリスが70%、オーストラリアに至っては240%であり、他の先進諸国の中ではダントツで最下位である。

今までは需給率が低くてもそれほど問題ではなかった。しかし、世界中で食糧価格の高騰、すなわち、スタグフレーション(景気が悪いのに物価が上昇する現象)が起きつつある昨今、日本の需給率の低さは、我々日本国民にとって命取りになりつつある。

特に主食である穀物価格の上昇は脅威的である。ここ2年での穀物輸入価格は、米、小麦、トウモロコシなどすべてが倍以上になっている。

Photo_2 穀物メジャーの意図が感じられるバイオ燃料政策により、トウモロコシ価格の高騰し、農家がトウモロコシへ転作することで他穀物価格も高騰連鎖している。

また、穀物価格上昇により、穀物の輸出規制も各国で始まっている。

インドは昨年秋からコメの輸出契約を禁止しているし、アルゼンチンは小麦の輸出をストップした。

先のG8でも、「食糧価格高騰が世界経済の主要議題」との見方を示し、小麦など穀物の価格高騰の一因とされる輸出規制の撤廃を促す方針を明らかにした。

人口は増えていく一方で食料供給量は下がる。食糧は完全に需給バランスが狂い始めているのである。

このままだと、食糧価格は上昇を続け、世界各国は食糧輸出の規制にとどまらず、一切の輸出を禁止するであろう。

そうなると、我々日本人は「飢え」の時代を迎えることになる。お金があっても食糧が買えなくなる。いくら経済的に豊かであっても生きていけなくなるののだ。

様々な食料品が既に30%程度値上げされているが、今後数年で100%を超える値上げになるだろう。米5Kg2,000円が5,000円、そして10,000円になる。かけ蕎麦1杯が1,000円の時代がもうすぐ来るのである。

このまま無策では、こうした時代はあと数年以内に到来するのは間違いない。だからこそ、今から、政財界一丸となって、この問題に対処しなければいけない。

我々も、ドライフーズを3年分ぐらい備蓄する、田舎の土地を買って農作に励む、輸入食品でなく国産品を買うようにして国内食糧生産者の生活レベル向上の支援をするなど、個人レベルで何ができるか考えないといけないであろう。

大変な時代はもうそこまで迫っている。

立食いソバ1杯が1000円になる日 (宝島社新書 272) (宝島社新書 272) 立食いソバ1杯が1000円になる日 (宝島社新書 272) (宝島社新書 272)

著者:門倉貴史+ニッポン食クライシス取材班
販売元:宝島社
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中国産食品の輸入を全面的にストップした場合をシュミレーションした結果、「立ち食いソバ1杯が1000円」になるらしい。著者はBRICSの専門家であるが、最近はこうした経済問題にもするどくメスを入れている。食糧危機の実態把握する入門書。

食料植民地ニッポン 食料植民地ニッポン

著者:青沼 陽一郎
販売元:小学館
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雑誌SAPIO連載の人気コラムが書籍化。日本の食卓が中国とアメリカに支配されてしまった事実と、食品供給元の恐るべき実態を暴いたノンフィクション。驚愕の事実がそこにある。

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生き方の美学

人は個性があればあるほど、その評価は分かれるものだ。それは人物に対する見方の違いにすぎず、どのような視座をもってその人物を感じるか、にすぎない。

司馬遼太郎が幕末の長岡藩主席家老、河合継之助の生涯を描いた「峠」を読んで痛感させられた。

河合継之助は戊辰戦争でも壮絶を極めた北越戦争で長岡藩を率いた人物として有名である。

が、米百俵で有名な小林虎三郎が好きであった私にとっては、北越戦争に反対した虎三郎に敵対し、独断で戦争を強行した結果、長岡藩を焼け野原にした河合継之助は「狂人」という印象でしかなかった。この峠を読むまでは、である。

北越戦争において、長岡藩はいかなる立場をつらぬき通すべきであったか?

小林虎三郎が主張したように、時流の流れにのって、旧徳川から受けた恩恵を捨て、薩長の新政府に迎合し、僚友ともいえる会津藩打倒の先方役を引き受けて、藩の生きる道をとるべきであっただろうか?

それとも、河合継之助がその本意とは違いながらも主導したように、徳川に対する忠義を貫き通すため、新政府と戦うべきであったのか?

答えはどちらでもあるし、どちらでもない。結果論で簡単に論じれるものでもない。

北越戦争の結果、確かに長岡藩は焦土と化し、その後、藩は米百俵を恵んでもらうほどの貧困にあえぐ。このことを恨みに思う人は多かった。事実、河合継之助のお墓は地元民に何度も壊されたらしい。

その一方で、長岡藩として忠義をつくすという忠義の誇りを守れたとして、河合継之助を藩の英雄と称える人も多い。記念館も設立された。

まさに評価は二分されている。どういう視座でその人物を見るかの違いなのである。

河合継之助はなぜ戦ったのであろうか?なぜ世の行く末を誰よりも予測できていたにもかかわらず薩長につかなかったのか?なぜ危険藩と思われるとわかりながら武力武装したのか?なぜ負け戦と知りながら戦ったのか?

それは彼の武士としての生き方にあった。武士道を貫き通すため彼は戦ったのである。生き方の美学を追求したのであろう。

武士とはいかに生き、いかに死にゆくのか。

武士とは義、すなわち、物の道理を重んじ、高い志を持ち、生涯に亘って己の信念を貫き通し、そして美しく死んでいくもの。結果ではなく、生き方の美しさに拘る。

我々は結果に拘る。お金持ちになりたい、名誉がほしい、すべて結果である。結果を出すことが人生の王道だと思っている。

武士はそうではなかった。

結果ではなく、生きる「道」、すなわち人生のプロセスに誇りを持っていたのである。結果はある意味どうでもよかった。プロセスが彼らの人生の目的であった。

結果を追い求めると、人生の成功とは結果を出した人にしか味わえない。しかしながら、名誉を得る、大金を得る人は数少ない。大半の人は人生の成功者とはいえないであろう。

武士道は我々に人生において本当に大切なものは何かを教えてくれる。それは、結果を追い求めるのではなく、志を貫き、生きる過程を日々大切にすることである。

物質に恵まれる一方で心の充実感を失いつつある我々は、古の日本人が持っていた大切な考え方、生き方をもう一度見直す必要があるような気がする。

峠 (上巻) (新潮文庫) 峠 (上巻) (新潮文庫)

著者:司馬 遼太郎
販売元:新潮社
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河合継之助の生き方の美学とは、武士として志を貫き通したことである。その志の大切さを説いた印象的な言葉がある。

「世という画布に筆で絵を描く。なにをもって描くか、それが志である」

「そして、志の高さ低さによって男子の価値は決まる」

「しかし、志ほど世に溶けやすく、壊れやすく、砕けやすいものはない」

幕末武士は、倒幕までは自分を捨てて、国のために戦ったが、新政府が樹立されると己の立場を確保することに奔走した。当初の志を忘れたかのように...

高い志を抱くことの大切さ、そしてその志を生涯持ち続けることの難しさを端的に語った言葉であろう。

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マネジメント

会社に入り年数を重ねると、誰彼出世して部下を持ち、マネジメントの立場になりたいと思い、実際なっていく。

なぜ出世したいのか?周りから偉く見られたいという名誉欲、年収があがるという金銭欲、この2つが出世したい大きな理由であろう。

しかしながら、こうした安直な私欲でマネジメントの立場になっていいものであろうか。

マネジメントになる、それは責任を負うことである。会社、部署の利益責任を負う、それは部下そして、その家族の生活の責任も負わねばならない。

この責任は会社規模が小さくなればなるほど大きく感じる。

従業員数千名の大企業の部長職であれば、部の戦略に誤りがあったとしても、せいぜその部がつぶれるだけであり、部下が路頭に迷うわけではないが、数十名の会社だと、トップの判断ひとつで会社は潰れる。

その責任は重大である。

私は自分がその立場になるまで、マネジメントの責任がまったくと言っていいほどわかっていなかった。経営戦略が立てれればいい、営業能力があればいい、といった断片的かつ表層的な認識でしかなかった。事の重要さを把握できていなかった。

責任はそれだけではない。

部下の生活責任を負う、そのためには単に会社の業績をあげればいい訳ではない。

マネジメントの一番大切な責任は大切なのは部下の成長責任を負うことである。

部下は自分の下からいつ旅立つかわからない。部署を移動するかもしれない。転職するかもしれない。同じ場所にいる時だけでなく、その先の人生を含めての部下への責任を持たねばならない。

そのためには、部下の能力を高め、どこにいてもいい成果を出せるようにサポートしないといけない、すなわち、部下の成長を促さないといけない。

これはとても思い責任である。

こうした責任を負うことで我々は何を得るのであろうか?

それは自己成長である。マネジメントをすることで部下から学ぶ、お客様から学ぶ、取引先から学ぶ、そして会社から学ぶ。それは自分の大いなる成長につながる。

マネジメントとは人として成長する場なのである。

そのために責任を負ってまでやる価値があるものであり、決して出世欲や金銭欲でするものではない。

生きる上で自分を成長させる大切な経験を会社からさせて頂く。会社の成長、お客様の業績向上、そして、部下の育成でその恩返しをする。それがマネジメントの本来の意味なのだと思う。

なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか 人間の出会いが生み出す「最高のアート」 Book なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか 人間の出会いが生み出す「最高のアート」

著者:田坂 広志
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仁の大切さ

経営者推奨本の特集をよく見かけるが、歴史文学書では、多くの経営者が「竜馬がゆく」を愛読書にあげている。

「竜馬がゆく」は司馬遼太郎の代表作である。そして、「竜馬」は司馬遼太郎の作り上げた坂本龍馬像である。なぜこの本がこれほど人気があるのだろうか?

竜馬は、鎖国解禁が迫った幕末において、大抵の武士が尊王攘夷、すなわち倒幕と外敵排除を唱え、殺戮を繰り返していた時に、薩長連合を実現させると共に、海援隊を創設して海外貿易に夢を描いた。

その桁違いの志の大きさや行動力ゆえに、ここまでの人気があることは想像に難くない。が、それだけの理由であれば、竜馬以外にも、勝海舟や大久保利通、桂小次郎など傑出した志士達が幕末にいた訳で、彼らも同様に人気があってよさそうなものである。

竜馬はなぜこれほど突出した人気を誇るのであろうか?

それは仁、すなわち、人として深い心のやさしさを竜馬が持っていたからではなかろうか

薩長連合の密談会議で10日間、薩摩と長州がにらみ合いをした後ご破算になった。それを聞いた竜馬が血相を変えて西郷隆盛の所に飛んで行って叫んだ。「長州がかわいそうじゃないか」と。

「かわいそう」には理も道理も何もない、そこには仁の心しかない。この竜馬の心意気に西郷は心を打たれ、日本の歴史を変えた薩長連合が成立した。

人を動かすのは道理だけではない。最後は仁である。上に立つ者は仁の心がなければならない。部下を統率するのに一番大切なことは理ではなく、仁である。竜馬の生き方がそれを教えてくれる。

竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫) Book 竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫)

著者:司馬 遼太郎
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つらい時、心が折れそうな時、「竜馬がゆく」を読み返す。そして再び頑張ろうという気になる。生涯読み返すべき本、そう誰もがそう感じる不朽の名著である。部課長、経営者、政治家など組織のトップを立つ者に何が必要か、そのすべてを竜馬は我々に語りかけてくれる。

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日日是好日

~「日日是好日」~ 禅の格言の中でも人気があるもので、私も最も好きな言葉の1つである。

この「日日是好日」、毎日がいい日でありますように!といった単純な意味ではない。禅語は各人が解釈するものであるから、別に単純な意味に捉えてもいいのであるが、本来もっと奥深いものである。

日日是好日とは、碧巖録に書かれた古僧、雲門の言葉である。

雲門垂語して云く、「十五日已前は汝に問わず、十五日已後、一句を道い将ち来られ」自ら代わって云く、「日日是好日」

雲門は「今までの十五日間のことは問うまい。これからの十五日間で一番大切だと考えたことを一言でいえ」と弟子に問うたところ、誰も答えられなかった。そこで雲門自らそれに答えたのが「日日是好日」という言葉である。

日日是好日は、字のごとく、毎日毎日が吉日であると思え、という意味である。生きていると調子のいい日も悪い日も、嬉しい日も悲しい日もあるが、すべての日を「いい日」だと思えるようになれと説いている。

意味はそうなのであるが、ここで解釈が終っては禅問答にはならない。「いい日」と思えといっても悲しい日にいい日だとは思えない。それでも「いい日」だと思うにはどうすればよいか?

それを考えることが問答の本質でありこの言葉の本意である。

毎日がいい日、大切な日と思うには、毎日毎日をその日限りと思って生きることである。1日が終ったら、すべてをリセットし、明日を迎える。そして、その日、その一瞬を大切にして一生懸命生きることで、その1日は何があろうとかけがえのない日になる、すなわち、好日と思える。

要は、毎日、この一瞬に集中して生きよ、昨日を振り返ることなく、明日を夢見ることなく、今、この一瞬しかないと思え、それが日日是好日に込められた本当の意味である。

毎日を全力で生きる、この瞬間を生きるということ、いつも心に留めておきたいものである。

ふっと心がかるくなる禅の言葉 (コスモ文庫) Book ふっと心がかるくなる禅の言葉 (コスモ文庫)

著者:永井 政之
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無私

経営者、すなわち上に立つ人材に求められる資質・能力とは、①カリスマ性、②先見力、③実行力、が必須であるが、それより大切なことは「無私」、すなわち、自分を捨てて、いかに社員のこと、会社のこと、顧客のこと、そして、社会のことを考えることができるか、ではなかろうか。

ベンチャーで上場し、大金を手に入れる経営者は数多い。そのほとんどは、カリスマ性に富んでいて、先見力のあり、実行力も高い経営者であろう。しかしながら、ベンチャーから大企業になり、名実共に立派な会社に永続的になっている会社は意外と少ないのではなかろうか。

会社が長期に渡って繁栄するかどうかは、無私の心をどこまで持ち合わせているかに依存してるのではないかと思う。

京セラの稲盛会長は私の最も尊敬する経営者の一人であるが、稲盛会長はDDIを設立するにあたって、6ヶ月間「動機善なりや、私心なかりしか」と毎日自分に問うた上で、自分に私利私欲がなく、純粋に通信業界に参入して、NTT独占価格を下げることにより、日本社会に貢献したいと十分に確信した上でDDIを設立した話は有名である。

稲盛会長はその証として、自分でDDIの株は一切保持しなかった。上場すれば巨額の富を得ることがわかっていても、私心なきことを揺るがさないために、あえて保持しなかった。

創業者で上場前に株を持たない経営者も珍しいが、それでこそ、DDIが今でもKDDIグループとして一流企業に君臨してるのであろう。

こうした一流の経営者の元祖と呼べる人は、私は第一銀行の創始者である、渋沢栄一ではないかと思う。

幕末から明治維新になり、新政府が立ち上がると共に、商業も新たな時代を迎えた。その過程において、財閥と呼ばれる、三井、三菱、安田、住友、大倉などの企業体が幕末の動乱期にうまく立ち回ったことで、巨大な富と名声を得るに至ったが、あえて財閥を作らず、富を合同会社という共同経営形態で分配するという形態を日本で最初に取り入れたのが渋沢栄一である。

渋沢氏は「私利を追わず公益を図る」との考えを、生涯に亘って貫き通し、私財を投入して数多くの慈善団体を設立している。営利に走れば、決して三井、三菱に負けないだけの財閥を作れたはずだが、私利を捨てて株式会社構想を日本に取り入れたからこそ、今の日本の資本主義があるといえる。

無私の精神は人々に感銘を与えると共に、偉大な功績を残すことができる。お金は死んだらなくなるが、功績と感銘は永遠に残るものである。

経営者とはかくありき、というのを最初にわが国に知らしめた人、それが渋沢栄一であろう。渋沢氏の生き方から、我々は今でも多くのことを学ぶことができる。

雄気堂々〈上〉 (新潮文庫) Book 雄気堂々〈上〉 (新潮文庫)

著者:城山 三郎
販売元:新潮社
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幕末の動乱期を商業という視点で描いた巨人渋沢栄一の伝記である。城山三郎の著作らしく、淡々と話が流れていくが、その展開の面白さは同じ幕末の動乱を描いた一連の司馬良太郎作品に匹敵する。

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色即是空

070508大学卒業後、海外にしばらくシェアハウスを借りて各国の若者と同居していたことがあるが、夜になってお酒を飲みだすと、毎日必ず政治経済と宗教の話になった。

どちらの話題も20代前半で政治経済や宗教観に疎い日本人学生の私にとっては、カルチャーショックであり、同世代の若者の知識豊富なことに対し、劣等感と情けなさを感じる毎日であった。

「日本人は無宗教でも哲学の教育はあるのだろ?」という問いにも、その当時はこの2つを同列に扱う彼らの考えが理解できなかったし、そうした倫理観・道徳観の教育がない日本人は彼らにとって理解しがたい存在であったに違いない。

宗教も哲学も人の生き方を考え、学ぶという点では同列といってもいいが、宗教が神という絶対的な存在を信仰の対象とし、神の教えに従って生きるのが正しい人の道という、いわば他人依存型の考え方であるのに対し、哲学は偉人という同じ人間の考えを自分の中に昇華して、自分の中に答えを見つけるという、自己依存の考え方であるという点で大きく違っている。

私は神の存在を否定する訳ではないが、他人依存でなく自分依存の哲学の考え方の方が健全であると感じているため、宗教には特段興味はないが、日本人として、仏教の教え、その中でも特に「禅」は宗教という観点でなく哲学の観点で好きである。

お釈迦様(釈尊)の教えは仏教となり、インド仏教と、中国仏教に袂を分かれる形で様々な流派となって日本に伝来したが、宗派を超えて日本人に愛されているお経に玄奘(三蔵)法師がインドから持ち帰って漢訳した「般若心経」がある。

私はこの般若心経の中で、おそらく釈迦が一番伝えたかったであろう、「色即是空」という言葉を座右の銘にしている。

色即是空は一般的な仏教解釈では、「この世にあるすべてのもの(色)は、因と縁によって存在しているだけで、固有の本質をもっていない(空)」という、イマイチ理解できないものである。

私も最初は何のことかよくわからなかったが、禅を学ぶにつれ、釈迦が本当に言いたかったことは、次のようなことだったのではと気がついた。

物事や出来事は色がない存在ただそのものである。ところが、人は出来事を、自分の価値観で「正しい、正しくない、嬉しい、悲しい」、といって色をつける。その色は我々の意識がつけているだけであって物事の本質ではない。本質は空、すなわちただ存在・事象そのものに過ぎない。

すなわち、空(なにも色がないものを)即(人は自分の価値観や考えによってすぐに)是色(いい悪いなどの色に染めてしまう)が、しょせんは色即是空(すべてのものは色はなく空にすぎない)であるという教えである。

例えば、コップ半分の水を見て、「まだ半分もある」と喜ぶ人もいれば、「もう半分しかない」と悲しがる人もいるが、それはただコップに水が半分入っているという事象でしかない。

釈迦は人は自ら物事に解釈をつけることで自らを苦しめるものであり、それは人の思いひとつでどうにでもなるということを言いたかったのではなかろうか。

私は、出来事や人の意見をあまり色をつけて見ないようにしている。そうすることで物事を冷静に判断できるし、頭にくることも少なくなる。生きる上での知恵を、私はこの「色即是空」という言葉に頂いた。

釈迦の教えは「感謝」だった Book 釈迦の教えは「感謝」だった

著者:小林 正観
販売元:風雲舎
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著者の小林さんは宗教家ではなく旅行作家であるが、私はある意味悟りの境地を説く哲学家だと思う。

「物事にはいいも悪いもない、ただそう思う自分がいるだけ」という考え方を著者の小林さんに教わったのは15年前。色即是空の解釈も小林さんの教えに影響された部分が大きい。以前は小林さんのファンが四国にローカル自費出版社を設立し、通販で販売しているだけだったが、2年前にメジャーデビューしてからは、店頭に本がようやく並ぶようになった。

人生はすべて決まっているという彼特有の思想には努力がすべての現代人には抵抗感があるが、小林さんは努力が無駄といっている訳では決してない。

そこを理解するのは難しいので、誰にでもお勧めできる本ではないが、頑張りすぎている人や、自分を追い込んで苦しんでいる人には、読むときっと心が楽になると思う。

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ブログタイトル変更

本ブログのタイトルを「コンサルタント道具箱」から「色即是空」に変えることにしました。また、ブログの中身をこれまでのビジネスに関することではなく、読書の感想や論評などを中心としたものに変更します。

Photo

これまではコンサルティング会社のHPにリンクされていたため、コンサルティングビジネスに通じるというカテゴリーにおいて書いていましたが、会社HPとのリンクがなくなったため、一個人のブログとして、自由にこれからは書きたいと思います。

ブログの中心はあくまで自分自身のための本を読んで感じたこと、得たことを備忘録として残すためのものであり、これまでの公開することを意識したものではないため、内容に稚拙なところも出てくるとは思いますが、気に入ったら読んでみて下さい。

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考具

年末にかけて新規事業の企画・立案をしていたが、ゼロベースでの企画を立てる際のアイデア出しはいつも辛いものがある。

ビジネスマンたるや、特に事業会社に就業してると、企画・検討して資料を作る機会がよくあるが、物事をどのように考えるか、について誰にも教わった記憶がない。そのような会社の教育もおそらく存在しないであろう。

思考ツールとしては、ロジックツリーやピラミッドストラクチャーなど、いわゆるlogical thinkingで確立されたメソドロジーが存在してるし、学ぶ機会もあれば本も多数存在しているが、企画をするなどのアイデアを出す場合のメソドロジーはあまり出回っていない。

アイデア出しのやり方としては、古くはKJ法などあるが、何でもいいので、自分なりに考えるためのツール、いわゆる「考具」を身につけているのといないのでは、かなり違いが出てくるのではなかろうか。

私自身は色々試してきて、最近ではマンダラートとマインドマップを状況に応じて使いこなすことで、アイデアを出すことにしている。

マンダラートは3×3の曼荼羅の中心にテーマを書き、その周りを埋めていくことでアイデアを生み出すツールである。

マインドマップは最近有名になってきたが、人間の脳の回路をモチーフにしたアイデアツールで、真中にテーマを書き、そのまわりに枝を神経回路のように張り巡らしてアイデアを書き込んでいくツールである。

私は一人でブレストする場合、アイデアを出すスピードが早いマンダラートを主に使い、何人か集まって一緒にアイデアを考える場合は、マンダラートだと違和感のある人もいるため、最近認知度も上がってきて、かつ、ビジュアル的にも見栄えする、マインドマップを使うことにしている。

それ以外にもいろいろあるが、要は何でもいいので、自分の思考武器として、1つでも身につけておくと、仕事が効率化されて便利だと思う。

考具―考えるための道具、持っていますか? Book 考具―考えるための道具、持っていますか?

著者:加藤 昌治
販売元:阪急コミュニケーションズ
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著者は広告代理店勤務。アイデアを出すのが仕事である。マンダラートやマインドマップ含め、考えるためのツールをいろいろ紹介しているので参考になる。

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時間管理

最近事業企画の仕事に従事するようになって急に忙しくなり、更新が1ヶ月あいてしまった。

忙しくなると、ついつい「今やらなくてもいいが重要なこと」が疎かになり、QOLが低下するので気をつけないといけない。まったく反省の限りである。

忙しい人にとって、時間管理はとても大切である。

時間管理の手法は様々で、ノウハウ本もたくさん出版されており、ビジネスマンは誰もが工夫して仕事をしているであろうが、そういったノウハウ本には、「そもそも論」が欠如してるような気がする。

「そもそも論」とは、「自分の仕事を減らす」ことである。

当たり前の話だが、「やらねばならない仕事」が「与えられた時間」より多いため、時間管理が必要になる訳であり、そのため、いかに効率的に仕事をするかが問題になっているが、そもそも効率だけを考えても所詮限界がある。

その前に、今自分のしている仕事の中で、本当の意味での「自分の仕事」だけをしているかを整理し、総仕事量を減らすことをまず考えるべきではなかろうか?

今の仕事の中で、本当の意味での「自分の仕事」とは、

①自分にしかできないこと and

②重要なこと and

③自分のやりたいこと

である。そういう仕事だけをやるように心がけることである。

自分でなくてもできる仕事は、部下になるべく振るなどを真剣に考えるべきでる。ついつい自分でやった方が早い仕事でも部下に振る。一度振ることができれば、その先任せることができるので、一時的な煩雑さは我慢してでも振るべきである。

自分にしかできないと思う仕事でも、任せてみると意外に誰でもできるものである。自分を過信することなく、仕事をまかせる習慣を見につけることは大切である。

では自分が部下の場合はどうか?その場合は逆に、上司から誰でもできる仕事を振られないようにすることである。上司から頼まれると、「いい人」でありたいがために、ついつい引き受けてしまう。

そうなると便利屋になってしまい、雑用が次々に自分に降って来る。

そうならないためにも、「いい人」であることなく仕事を断れるようにならないといけない。

といっても、誰でもそれをしていいわけではない。仕事が断れる人は、この人に雑用を頼むと失礼だな、申し訳ないな、と思わせるだけの仕事の成果と実力を持った人だけである。

また、時間を使う上で、重要なことだけに絞る工夫も大切である。仕事ではもちろんそうであるが、仕事以外でも重要でないことはいっぱいある。

例えば、目的のない飲み会、ネットサーフィン、テレビをぼっと見る、など。

一度自分の時間を棚卸して

重要である⇔重要でない × 緊急である⇔緊急でない

の4象限で整理し可視化してみるといい。重要でないことの多さに唖然とするであろう。私も唖然としたことがある。

「重要でないが緊急なこと」「重要でなく緊急でもないこと」は時間の浪費にすぎない。これらの時間の合計はできれば20%に抑えるべきであるが、実際は40%ぐらい費やしているのではなかろうか?

最後に大切なのは、自分のやりたいことに時間を使うことである。

サラリーマンだから仕事は選べないというのは間違っている。自分のやりたいことを自分で探して、その仕事を自分のものにするよう、日々努力すべきである。

仕事は上司に与えられるものではない。自分で作り出すものだ。

「上司がダメ、会社がダメだからいい仕事ができない、実力が発揮できない、自己成長がない」などといってる人で、仕事ができる人を、私は今だお目にかかったことがない。

仕事ができる人は言い訳はしないし、上司や会社の文句も言わない。なぜなら、そういう人は、やりたい仕事を自分で掴む力、そして掴んだ仕事を上司に頼ることなく自身でやり遂げる力を持っているからである。

時間管理ツールを使う前に、こうしたことを考えて仕事をスリム化するのが大切でではなかろうか。

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本当のこと

新聞を購読しなくなって10年ぐらいになる。

なぜ読まないかというと、真実が書かれていないことに気がついたからである。事実と虚偽と意見がすべて、事実のように記載されていることにウンザリしたからである。

現在だけでない。過去の事実もまた捻じ曲げられている。

例えば、真珠湾攻撃は日本がしかけたものではない。米国、もっというと「I」という結社の仕掛けである。

日本はまんまと乗せられて奇襲攻撃をかけた。それで米国民の反日感情を煽り、米国が第二次世界大戦に参入できた。このことは米マスコミにて情報開示が始まっているが日本では決して報道されない。

憎しみの感情をあおり、敵を作る手段は国家の常套だ。数年前にも米国であった、テロ撲滅のきっかけを作った事件もこの範疇であろう。

真実が報道されないことに疑問を持たない人は多い。

この間の参議院選前になぜ年金問題が出てきたのだろう?年金問題は10年前から周知の事実であるのに、なぜこのタイミングで出てきたのであろう?

耐震偽装マンションでなぜアパ社の訴求に時間がかかったのであろうか?なぜイーホームズは解散させられたのに、日本ERIはなぜお咎めなしなのか?

書き出すとキリがないが、すべて本当の理由があるのだ。

それは決して報道されない。真実がマスコミに知らされない場合もあれば、知ってても報道できないこともある。

なぜ?を考えるにあたっては、政治・経済に精通するだけでなく、視点の切り替えが必要である。

切り替えとは何か?それは、国家の経営者になったつもりで、国を治めるには何をすべきかという視点で見ることである。

国家も1企業と考えれば、ヒト、モノ、カネに関して戦略を立てねば経営できない。すなわち国民に、どう産業に従事させお金を作らせ、それをどう巻き上げるかを考えないといけない。

そうした視点で国家の活動を見ると、政治の実態が見えてくる。政治が見えれば、経済が見えてくる。経済とは政治の手段である。決して単独で経済学のように動くものではない。

本当のことがわからないと先は見えない。

なぜ?と考えることはとても大切だと思う。それを続けることで、最近ようやく少し「見える」ようになってきた。

さらに”見えてる人”になりたい。今の自分にとって、それはとても必要なことだと感じている。

日本マスコミ「臆病」の構造―なぜ真実が書けないのか (宝島社文庫) 日本マスコミ「臆病」の構造―なぜ真実が書けないのか (宝島社文庫)

著者:ベンジャミン フルフォード
販売元:宝島社
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元ニューズウイークの記者で日本のマスコミが書けない真実を次々に出版しているジャーナリストである。なぜマスコミが本当のことを書けないか?がわかりやすく解説されている。

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天職

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先日、テレビをつけると「働きマン」なる連続ドラマの初回が放映されていた。原作は漫画だそうだ。

私は漫画を読まないので知らなかったのだが、聞けばかなり前から流行っているとのこと。

意味深なタイトルと、妙に気になる描写画(ウルトラマン?)が出てきたので、思わず最後まで見てしまった。

このドラマ、雑誌の編集者が主人公である。編集業は、私もかつて雑誌社でのバイト経験がありよく知っているが、原稿締切り前は戦場と化す。

当然徹夜は当たり前で、ハードワークで知られるコンサルタントもとてもかなわないぐらいの働きぶり、まさに働きマンである。

私も20代の頃は3日働き通しというのもよくやっていたので、寝食忘れ仕事に没頭する主人公を見てて懐かしい気持ちになった。仕事に没頭していた頃だ。

あの頃は仕事をいくらしていても苦痛に感じなかった。さすがに今は徹夜するのは厳しいが、好きな仕事に集中する楽しみは今でもかわらない。

没頭できる仕事があるというのは幸せだと思うが、このような人はむしろ珍しい存在なのであろうか?

というのも、最近、仕事が続かない若者が多い。3年でかなりの数が辞めていくらしい。

新人だけでなく、転職を繰り返す人も増えてきた。私の会社にも入社して1年経たずして退社する社員もいる。

なぜ辞めるのか?と聞くと、「この会社の仕事は自分に向いてないと思う」とか、「やりたいことが今の会社ではできないと判断したから」と答える。

では、やりたいことは何?夢は何?と聞いても明確な答えは返ってこない。それがわからないから、自分の天職、そして自分にとって最高の職場を探して転職するのだと彼らは言う。

では、転職すれば天職が見つかるのであろうか?私はそうは思わない。

天職は探すものではない。気づくものである。

天職とは、やりがいのある仕事のことだ。そのためには、仕事を達成することが必要である。達成しない限り、その仕事が遣り甲斐があるかどうかなんてわかりはしない。

だから、天職を見つけたかったら、まずは今の仕事に没頭することだ。命がけで仕事をやってみる。仕事で課した目標を、今のフィールドで達成することだ。

仕事をやり抜くことで、その仕事が天職と気づくかもしれないし、天職でないと気づくかもしれない。天職でないと気づけば、次のステージに進めばいい。そこには天職を発見するためのフィールドがきっと用意されている。

転職することは悪いことではないが、転職する前に、今の会社で自分ができる仕事が達成できたかをよく考えるべきである。

達成しないで転職しても天職には出会えない。それが人生の仕組みである。過去の偉人の生き方を見るとそれがよくわかる。

目先の仕事を働きマンとなり、一生懸命にこなすこと。それが自分の天職を知る一番の近道であり大切なことである。

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プロフェッショナル

コンサルタントという職業はプロ意識が高いと言われている。

確かに仕事をしていて、時間当りいくらで働いているので、これぐらいのパフォーマンスは出さねばならない、と考え行動する人は多い。

こういう時間感覚は、パート社員、アルバイトを除くと、他の業界ではあまり持ち合わせていないのではなかろうか?

私も前職時には、正直時間単価を考えてもみなかった。今から思うと情けない限りである。

時間の観念を持ち合わせていることはプロとして大切なことである。他にもプロとして必要なことはあるであろう。

真のプロとは何か?この定義は人それぞれ違う。正解などない。

私もプロ意識を持って仕事しているつもりであるが、私の思うプロは、

①セルフスタートできること

②成功をコミットできること

③責任を自分自身で取れること

の3つを備えていることだと思う。

①は人から指示される前に自分が今何をしないといけないかを、自身が置かれている環境下で自ら判断し、自ら行動することである。指示がないから動けないようではプロ失格である。

よく、上司の指示が明確でないからできないと愚痴をこぼす人がいるが、愚痴をこぼす前に自分でなぜ考えないのか?と問いたくなる。

②のコミットメント、これはコンサルティング業界にはあまりないことであるが、私はプロたるもの、客前で成果を宣言し、自らを追い込んで、そして仕事を成功に導くべきだと思っている。

コンサルタントは成果をコミットしたがらない、仕事のスコープを決めてリスクを最大限回避しようとする。だからこの業界、顧客からの信頼感が得にくいのではなかろうか。

③は自分のケツは自分で拭くということである。人のせいにする人は、いつまでたってもプロになれない。

自分の仕事や部署、ポジション、役回り、すべて自分が呼び込んだものである。誰のせいでもない、自分が、だ。こういう人は、いつまでも、「会社が。。」「上司が。。」と一生言い続けているであろう。

自ら目標を決め、ゴールを宣言し、自ら行動し、そして責任を取る、これが真のプロフェッショナルだと思う。

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ゆうちょ銀行

Photo_2郵政民営化を受けて、10月1日にゆうちょ銀行が誕生した。

涙そうそうをテーマ曲にコマーシャルが流れているので、あ、変わったんだなと誰もが気がついていることだろう。

この銀行のキャッチコピーは、

「ひとりの重さは、日本の重さ」。

日本という国を、ひとりの人間にたとえるなら、その肉体のすみずみにまで、若く、みずみずしい力をゆきわたらせたい。心からそう願っています。日本のすみずみまで幸せになる民営化。それが私たちの挑戦です。ひとりを愛せる日本へ。

だそうである。

これをみて、シュールな冗談だと思ったのは私だけであろうか?

民営化によって既にいくつかの地方局が廃止されている。今後この数はさらに増えるであろう。お年寄りの多いある地域では、ボランティアが郵便の配送や貯金の預かりを代行している。

サービスも低下している。24時間の小包受け取りが深夜0時までに変更された局が出てきた。深夜に帰宅するサラリーマンには困ることである。

また料金の引き上げが顕著である。例えば定額小為替証書は10倍に料金がアップしている。

これが「ひとりの重さは人間の重さ」なのであろうか?

だいたい、郵政民営化をなぜする必要があったのか、国民はどこまで理解できてるのであろうか?民営化によって税金の無駄を省くためと説明されているが、そうではない。

本当の理由は、誰もが想像できるある大国による圧力によるものだ。

大国はゆうちょの抱えている数百兆円の日本国民資産を手中にしたいがために、小泉政権に圧力をかけて、民営化に持ち込んだ。

そのうち、民営化したものの経営に不慣れなため、競争力が低下し、行き詰ったゆうちょ銀行は、外資との提携を発表することであろう。そうなれば、彼らは日本国民の資産を手に入れたも同然になる。

そもそも、ゆうちょの預かり金の大半は国債に替わっている。その中でも大国の国債はかなりを占めている。政府が発表しないので、定かではないが、おそらく数百兆円がその国の国債にかわっているであろう。

この国債は売るに売れないものである。売れば大国経済が暴落するため、圧力をかけて売らせない。絶対に売らせないのである。すなわち換金不能のお金がかなりを占めている。

大国の国債がデフォルトになると、ゆうちょの預金も消えることになる。これが国有企業であれば、国が補填しなくてはならない。我々のさらなる税金を使ってだ。今度は日本がデフォルトになるであろう。

民営企業であれば。。。ペイオフも解禁となった今であれば、ゆうちょ銀行という1企業が(規模は大きいが)破産宣告するだけですむのである。これも民営化した大きな理由であろう。国が転覆するのは避けられるからである。

要は日本国の大国に対する借りを、国民のゆうちょ貯金でチャラにするということである。

本当のことは何か?常に考えながら生きていかないと、大変なことに今後なるであろう。そんなことを考えさせられるゆうちょ銀行の誕生である。

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最近

Photo 最近、ここ2ヶ月ばかりブログの更新を休んでいた。

忙しかったこともあるが、書くことが仕事に偏ることでテーマを見失っていたことも、理由の1つかもしれない。

このブログはもともと会社のHPをリニューアルするタイミングで、更新コンテンツの1つとして、会社情報を見に来る、入社希望者や、社員に対して、コンサルティング業務における考え方を読み物形式で書くつもりでスタートした。

ところが、書いているうちに、教科書的になってきたこと、内容的には本を読めば済むようなことが多くなってきたので、最近は物の考え方をもう少し一般的な視点で書くように変わってきた。

内容的に仕事と関係しなくなってきたことから、そろそろ会社のHPからのリンクも外し、1個人として自由に書くべき時期に来たような気がしている。

という訳で、申し訳ありませんが、会社のHPで見に来ている方はぜひブックマークの登録をお願いします。

タイミングがきたら、個人のブログとして、もう少し更新の頻度をあげて、そのかわり雑記という形で短めの文書にし、日々感じたことを発信していきたいと思う。

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