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ポリティカルシフトの重要性

Aaa エネルギーシフトを実現するには、政治を動かさないとい

けません。また、自然エネルギーは地産地消型なので、市

民や自治体参加型のエネルギーになります。

つまりエネルギーシフトを実現するには、国の在り方その

ものを問い直すことになります。

故に、エネルギーシフトには、ポリティカルシフトも必要

だというのが、今日、渡辺 パコさん主催の「えねコミ」に参加してよく理解できました。

今後、エネルギーシフトに向けての、ポリティカルシフト

、国の統治分権の在り方をどの順番で何をして最終的に、

どのような形にすべきかの、ロードマップを有志で引いて

みたいと思いました。最終的に本に纏めるのもアリですね

日本でイノベーションはなぜ難しいのか

日本で創造的な産業といえば何?と聞かれて、「アニメ」「ゲーム」ぐらいしか思いつかなくなったのはなぜだろう?

電機産業はコモディティ化し、韓国や新興市場に技術力で並ばれ、IT産業はオフショア開発やクラウド・SaaS化により産業が年々衰退の一歩を辿っている。

日本でイノベーションが起こらない理由をイノベーションのDNAを読んで再認識した。

イノベーション力は生まれつきの能力ではなく環境により培われる。そして、その能力とは、①一見関係ないのもを結び付ける関連力、②現状を疑う質問力、③物事から何かを見出す観察力、④他業種などの人々と交流しアイデアするネットワーク力、⑤売れるかどうかをすぐ試す実験力、の5つの能力からできていると著者は述べているが、まったくその通りだと思う。

それ以上に大切なのはこうしたイノベーションの失敗リスクを許容する文化、制度、そしてサポートする仕組み・プロセスである。

日本人が5つの力において劣るとは思えない。イノベーショナルな環境下にない、こうした5つの能力の獲得練習を日々している人が少ない、のは事実だが、個人の努力でいくらでも作ることは可能である。

特に、FBのようなソーシャルは能力獲得のプラットフォームに使えるし、もっと使うべきだ。ネットワーク力や関連力は、FBを通じて交流する異業種の友人から私も相当な示唆を頂いている。

日本企業のイノベータはAppleのようにトップではない。現場の人材である。日本企業で問題なのは、この現場に対しての会社の失敗リスクの許容文化がないことではなかろうか。

制度上は、社内ベンチャーなどあるが、メンタリティーとして失敗を「よし」とする文化は醸成されていない。

プロジェクトを始める時に、リスクばかりコメントする上司、失敗した場合の説明を求めるコーポーレート部門...

こうした企業文化を抜本的に変革し、イノベーターを推奨する文化と制度を早急に整備しなければ、日本企業は、国債競争力がますます低下し、産業の空洞化を招くであろう。

自らの自戒も含め、反省すると共に、イノベーショナルな社会に日本を変えていく努力をしないといけないと、この本を読んで痛感した。


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21世紀の経営スタイル

天野敦之さんの「宇宙とつながる働き方」に記載されていた表ですが、まさにその通りですね。こうした働き方が今後社会から、そして天地の摂理から求められるのだと思います。
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私のリーダーシップ論

2734317businessconceptdiversityandl リーダーシップの本を本屋で見ると、組織に明確な目標を掲げ、部下を鼓舞し、支え、組織をリードしていく、といったものが多く、カリスマ性があり、メンターとして部下を育てる、というのが大半です。

私も昔はそうかな、と思ってましたが最近は違っていて、金融資本主義崩壊後の新しい社会におけるリーダーとは、①強い志を持っている、②それを周りに伝えていく、③志に共鳴した人が集まって組織が自然発生的に形成される、④リーダーが引っ張るのではなく、各自が自発的に動く、です。よって組織形態はピラミッド型ではなくフラットな組織に移行する、というのが私の考えです。

人はやりたいことを自らやる時に一番力を発揮します。リーダーはその活動の場のプラットフォームを提供するのが役目。そういうイメージです。

つまり、力や権力で人を動かす組織から、志をオープンにして共鳴作用により自発的に人が動き出す組織、にシフトしていくのではないか、そう思い、そう行動するようになりました。

そのためには自分のもつ志を大きく持たねばならない。自己利益のため、お金のためではなく、社会をどう変えていくか、社会にどう役立つべきか、そういう無私の志がリーダーシップの原点になっていく、そんな時代が遠からずやってくると思ってます。

この先の社会

神田昌典著「2022これから10年、活躍できる人の条件」を読みました。書かれてる内容のロジックは大分違うが、結論として、この先日本が、世界がどうなっていくか、についての予見は自分がここ数年感じてるものととても共通点が多かった。私の感じてるこの先の社会とは...

・2012年より金融資本主義が本格的に崩壊を始める
・EUは崩壊。米国経済も崩壊。日本はインフレ
・貨幣価値が徐々になくなっていく
・中東情勢が経済崩壊のトリガーになる可能性あり
・情報化・効率化社会は終焉し「共感・つながり」の社会へ
・クローズドから完全なるソーシャルな社会への移行
・2015年までの3年は天候・経済共々激変の時代
・2016年以降急速に人の価値観が変革する
・2020年以降社会構造及びビジネスの定義が大きくかわる
・大企業は必要なくなり、仕事に応じて人が集まる形に
・最終的には共存共栄を価値観とする新しい社会へ

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輪廻転生

大河ドラマ平清盛が始まりました。源平合戦の時代ですが、鎌倉時代の前の藤原道長などが活躍していた平安時代の流れがおぼろげなことに気がつき、最近日本の歴史を再度縄文時代から勉強し始めました。日本の歴史を俯瞰してよくわかったことが2つあります。

(1)狩猟民族時代には争いがなかったが、農耕民族にかわったことにより、土地の所有、使う者と使われ者=奴隷が生まれ、領土拡大のため争いが始まった。所有欲から名誉欲、それが争いを生み出しました。

(2)弥生時代以降、2000年の歴史の中において、その大半は戦争の時代でした。常に人は争い、奪い合い、憎しみあう、そんな時代が大半です。戦争のなかったのは縄文時代、江戸時代、そして戦後の現代のみといっても過言ではありません。

人はなぜ他人と争うのでしょうか?物欲、所有欲、名誉欲、すべてエゴの欲求ですが、歴史が進めば進むほど、それはエスカレートし、争い事は拡大していきます。

思うば、縄文時代が一番平和で理想的な社会だったのかもしれません。資本主義は今後数年以内に崩れ出し、新しい社会へと転換していきます。

破壊と創造のもと、縄文時代のような争いごとのない、共存共栄の社会に戻って行くのかもしれませんね。

ソーシャルラーニング

「ソーシャルラーニング」とは、先生と生徒がいて一方的に教える教育ではなく、参加者が相互に教え合い、学び合うことであり、既にビデオによるソーシャルラーニングビジネスが立ち上がってます、が、そもそもFacebook自体がソーシャルラーニングです。

色々な分野の素晴らしい友人の日々の書き込みに触れる中で、他では知り得ないことを学んでいます。また、自分の知り得ることを役立てばと情報を提供しています。

互助の学びともいえます。何か質問すれば何十人という方々から答えを頂けます。しかも匿名のYAHOO知恵袋とは違い、「友人」からです。

ソーシャル時代においては「学び」の概念も方法も大いに変わります。そして、教育そのものがソーシャル化し、それにより社会が変革していくことでしょう。

それ故、ソーシャルラーニングという「教育」分野にとても興味を持っていて、今年中に何らかのアクションをしたいなって思ってます。

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2012年抱負

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あけましておめでとうございます。

今年は実行の年にしたいな、と思ってます。
思いを実現に変えていく、それが今年の目標です。
とにかく動いてみよう、そんな初春の朝です。

2011年総括

2011年も終わろうとしています。

今年は経済的にも、自然環境的にも厳しい年になるとは感じていましたが、それが3.11という形で突然やってくるとは思いませんでした。あまりの衝撃的に唖然とし、何が起きてるのか自分の目で確かめるべく、2日後に現地に行きました。

言葉にできない惨状と、数えきれない亡き人に直接触れ合い、ボランティアでない現場の筆舌できない惨劇に立会い、数週間、自分の中の時間が止まりました。

4月になり、自分は今後何をすべきだろう?と改めて考えました。そして、やはり我々の生き方はもう限界がきてると確信しました。

金融主義=お金の価値にぶらさがる生き方、それに伴う自然破壊、取り返しのつかない危険な原発へのエネルギー依存...こんな社会の何かを変えていくことが、自分の今唯一できること、そう思い、Facebookで自然エネルギーで行こう!を立ち上げました。

活動自体は社会を動かすにはまだ至っていません。でも、志が同じ「仲間」と出会うことができました。そんな仲間からの刺激を受け、自分の価値観や生き方も確実に変わりだした...そんな1年でした。

Facebookを通じて1,000人の方々と知り合いました。素晴らしい出会いもいっぱいありました。本当にありがとうございます。皆さんに教わったことは、私の知識を知恵に変え、価値観とビジョンの形成に役立ちました。重ねてお礼申し上げます。

来年は...いよいよ資本主義の最終ステージが始まることでしょう。自然災害、環境問題も、まだ続くかもしれません。今年以上に厳しい年になるかもしれませんが、何があっても前を向いて歩いて行きたいと思います。

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ソーシャルな力は、その力を私に与えてくれます。

今年1年ありがとうございました。そして来年も、より多くの方と出会い、ソーシャルな活動の中で、一緒にさらなる何かを創造していきたいと思ってます。

未来は自分達で作るもの。希望ある未来を作ることにぜひご一緒させて下さい。
数々の出会いに感謝をこめて。

中山 高史

お知らせ

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最近ブログの更新が滞っています。

理由は、情報発信を、ブログからFacebookに変更したからです。

ただFacebookに移行すると、Facebookに参加されてない方に情報発信ができません。

来年より、できる限り、Facebookに書き込んだことを、このブログにも掲載したいと思ってます。

ブログと違い、日常的なことや短いつぶやき的なことになるかもしれませんが、お許し下さい。

Facebookのアカウントをお持ちになってる方は以下のアカウントをご参照ください。

https://www.facebook.com/naka68

企業とは何か?

Img_56531_2先週、ノーベル平和賞受賞で有名な、ムハマド・ユヌスさんの来日記念シンポジウムに参加しました。

ユヌスさんは、マイクロファイナンスで有名なグラミン銀行の創設者で、私にソーシャルビジネスとは何か?を教えてくれた方で大変尊敬している人です。

そんな方に、直にお会いすることができて感激しました。

「世界には様々な問題が山積している。世界で一番技術力とクリエイティブ(創造力)を持っている日本が傍観するのではなく、アクションを起こすべきだ」と語り講演会は終了したのですが、ユヌスさんの話を聞く中で、改めて、企業とは何か?ビジネスとは何か?を考えさせられました。

企業とは、会社とは、何なのでしょうか?

資本主義、金融主義の今、企業は、株主の配当要求に応じる形で、あるいは時価総額の増大を目指して、「自社の利益」をいかに高めるか、が一番大切なことになっています。

その結果、世界はどうなったのでしょう。

金融システムの暴走により経済は破綻寸前、環境問題は世界中で起きており、飢餓・貧困の問題はなくなるどころか、加速する一方です。

本来、人は社会のため、隣人のために何かをし、その対価として物々交換で物をもらって生活していました。社会に役に立たないこと、人が喜ばないことを作ったり、やったりしても、物々交換には応じてもらえませんでした。

ですので、昔はすべての仕事が何らかの社会貢献に繋がっていました。

今はどうでしょう?

お金を生み出す仕事は社会に貢献しているのでしょうか?...

本来企業はソーシャルエンタープライズであるべきです。

ソーシャルエンタープライズとは、寄付やボランティアではなく、本業が社会に貢献することで、その対価として利益を得る企業のことです。

「仕事とは社会に何らかの貢献をすることで、その対価としてお金をもらう」、お金は貢献に対する結果です。

よく考えれば、当たり前のことですが、今は「お金」を稼ぐこと自体が残念ながら目的になってます。

しかし、金融至上主義は今、崩壊しようとしています。

インフレになり、国債が暴落し、銀行が破綻すれば、資本経済も破綻します。

これは企業が、そして我々自身が、本来の生き方を取り戻すために必要なイベントなのかもしれません。

いつか、ユヌスさんが提唱するソーシャルビジネスが、特別なものではなく、誰もが当たり前と思う時が来ることでしょう。

改めて考えさせられたシンポジウムでした。

われわれの未来は暗いかもしれませんが、その先は明るい、そう信じています。

新しい時代に向けて、人の意識が変革していくことを楽しみに、自分自身できることをやっていきたいと思ってます。

ソーシャルネットワークが生み出す社会

Smmlogos 先日、友人の読書会に誘われて、課題図書に指定されていた「フェイスブック」を読みました。

映画「ソーシャル・ネットワーク」は見ていたのですが、本は未読だったので、これを機会に、一気に500ページを読破しました。

500ページはあっという間に過ぎました。映画よりも本の方がはるかに面白ろく、最近読んだ本の中でも最高の部類に入る素晴らしい本でした。

何が面白いかというと、訴訟や人間関係を中心に少々スキャンダラスに描かれた映画と違って、Facebookが築きあげた「ソーシャル・ネットワーク」の思想そのものが語られていたからです。

FacebookのCEOマーク・ザッカーバーグは本の中でこう語ります。

ネットで自分が誰であるかを公開することで、人々は一貫性をもって行動するようになり、より健全な人間関係と社会づくりに貢献できる」と。

日本の2chやmixiに代表されるSNSでは匿名性が中心です。

匿名性は何がいいのでしょうか?発言の自由でしょうか?言論弾圧を避けることができるからでしょうか?確かにそれはあるかもしれませんが、発言に責任を持たなくてもよい、限度を超えた誹謗中傷がまかり通る、など、実名でないデメリットもそれなりにあります。

私自身は、WikiLeaksのような告発サイトを除けば、ネット社会は実名性に移行すべきだと考えています。

匿名性では自分と異なるアイデンティをネット上に作り出します。いわば二重人格状態です。

FacebookのCEOザックバーグはこう語ります

「あなたは1人である。2つの人格を持つことは整合性に欠けている、それはおかしなことだ。別の人格を用意して名前を隠すのは、意見を述べる人間としては臆病者である」と。

「ネットで実名を出すのは嫌だ」という人は、つまるところ、本性を明かせないという後ろめたい理由があるのではないか?」と。

このザックバーグの言葉に共感しました。

実際、私にとっては、二つの人格は必要ないし、もっと言うと、表と裏、本音と建前というものが昔からとても苦手です。

私自身、Facebook上で、まだ会ったことのない人と友達関係を築いています。またその中で既に何十人の方とは実際にお会いしてリアルな社会での人間関係に既にシフトしています。

こうしたネット社会の関係性をリアル社会に展開できるのも、Facebookが実名性だからです。

どこの誰だかわからない人とは会いたいとは思いません。

ソーシャルネットワークの本当の素晴らしさは、そのプラットフォームを通じて、人々が出合い、何か新しいことをインキュベート・創造していくことにあるのではないでしょうか。

資本主義社会が崩壊に向かっている中、これからの社会は、志が同じ仲間が集まり、一緒になって何かを作り上げていく社会に変革していくのではないかと思っています。

実際、私もFacebookを通じて知り合った人々と一緒に、自然エネルギーを普及促進するためのコミュニティを立ち上げ活動を始めています。

そこにはリーダーが存在する訳ではなく、ただ思いや信念、価値観が共有できる人々が集まり、一緒に何か社会に対して役立つものを作り上げていく、そういう社会です。

その社会を構成するインフラ、すなわち、プラットフォームが、ソーシャルネットワークではないでしょうか。

そうした社会が到来するならば、自分が何者であるか?どのような価値観を持ち合わせているか?何をしたいのか?信念は何か?を自分自身で社会に表現していかないといけなくなります。

いわば「自分自身のブランディング」です。

Facebookにような実名制でのソーシャルネットワークは、新しい人の繋がり方、そして新しい社会のコミュニティを作っていくことでしょう。

なぜなら冒頭で語った通り、「ネットで自分が誰であるかを公開することで、人々は一貫性をもって行動するようになり、より健全な人間関係と社会づくりに貢献できる」からです。

金融社会や資本主義を先には、こうしたソーシャルネットワーク社会が生まれてくることと期待しています。

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著者:デビッド・カークパトリック
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価値観

最近の若い人、特に新卒や社会人2-3年目の人達と話すと、すごいな、って感じる時が多々あります。

なぜ会社に入ったのか?と質問すると、「社会に貢献できる仕事を見つけるため」「人の役に立てる仕事ができそうだから」という人が結構います。

面白いことに、高学歴の人ほど、そう言います。

きっと大学に入る前から、そういう高い意識があり、有名校に入って勉強してきたのでしょう。

かつてはステータスであり、誰もが欲しがっていた「自動車」を買いたいという若者は明らかに減っています。物欲が大きくないのです。

彼らは物欲より心の豊かさを大切にしています。これは、私の20代頃とは明らかに違います。

私の二十代の頃は、高学歴=高収入でした。だからいい大学を目指しました。いい会社に入って、安定した生活と地位を手に入れ、そして高収入を目指す、そうした価値観を持った人が大半でした。

「世の中の役に立ちたい」という欲求は、まぎれもなく、マズローの欲求の第五段階である、自己実現そのものです。いわば、最上位の欲求を、まだ地位も名誉といった第三段階、第四段階の欲求を手にしていないにもかかわらず、求めているのです。

これは今までの常識では考えられないことでした。

人は生存欲求である第一欲求から、収入の安定といった第二欲求、良い会社で働きたいといった第三欲求、人から称賛されたいといった第四欲求を経て、第五欲求に到達するものでした。

自身を振り返っても、第五欲求を求めるようになったのはここ数年前からで、三十代前半までは、社会のことなどあまり考えたことがありませんでした。

それを今の若い人達は、直感的に、第五欲求を求めているのです。そして、所有すること、物質的な豊かさ、そして、お金、この3つに価値観を感じなくなってきています。

これはすごいことだと思います。こうした世代の人々が社会を、今以上にいい方向に変革していくのだろうな、と感じています。

我々の世代は、こうした若い人達の情熱や力を引きたてつつ、リードしていくことで、新しい社会を作っていく義務があるのではないでしょうか。

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ソーシャルネットワーク

_512_512 最近ソーシャルネットワークの素晴らしさを感じています。

もともと、ブログはやっていたのですが、TwitterやFacebookは、ID登録して試しに使ってみたものの、何がいいのかわからず、しばらくほったらかしにしてました。

きっかけは、3.11以降のTwitterでした。

情報の即時性はニュースを明らかに上回ります。

タイムラインでそれこそ、秒単位で全国から最新の被災状況や原発の状態がほぼリアルタイムで目の前に表示されます。

これには「すごいメディアだと」と正直衝撃を受けました。

以降、Twitterで情報収集に加えて、自分からも情報を発信することで、リアルタイム・コミュニケーションの新しい可能性を感じることができるようになりました。

次に驚いたのはFacebookです。

Facebookも、最初は海外にいる友人とのコミュニケーションツールぐらいにしか捉えていませんでした。

3.11以降、エネルギー問題の関心が自分の中に高まったことから、企業人の利用度が高いfacebookを使ってみようと思い立ち、自然エネルギー関連のコミュニケーションページを立ち上げました。

これをきっかけにして、自分の周りのコミュニケーション環境が一変しました。

最初4人で立ち上げたサイトが、わずか3日間で300人の参加するコミュニティになったのです。これからも日々大きくなっていきそうです。

その大きくなる過程で、いろいろな人との出会いがあり、出会った人が別の人を紹介してくれる、という形で人的ネットワークが急変しました。

Facebookなどのソーシャルネットワークは、新しい形態のコミュニケーションの場を提供します。そして、新しいコミュニティを信じられないぐらいのスピードで構築することができます。

そして、形成されたコミュニティは人的プラットフォームを形成し、その上に、各種アクティビティが発生します。

新規ビジネスも今後は、このソーシャルネットワークを通じてインキュベートされることが多くなるのではないでしょうか。

なぜなら、旧来型のマーケティングや企業間アライアンス構築とは、桁違いにスピードが違うのです。

ブログ、Twitter、Facebook、は今やコミュニケーションに欠かせない存在になりつつありますが、この流れに乗って、ソーシャルネットワークとな何か?を自身で体感するか、しないか、で、3年後に大きな違いが出てくると思います。

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ミツバチの羽音と地球の回転

3.11以Banner155_90_02降、世界がかわったという人が多くいます。

私もその一人です。

持続可能性社会の在り方を、以前にも増して、身近な問題として真剣に考えるようになりました。

どのようなエネルギーを選択するのか、今、私たちは問われています。

原発なしに日本のエネルギー政策はありえない、そう政府と電力会社は主張して40年間に渡り、原発を推進してきました。

でもその推進の代償は大きかったのではないでしょうか。

自然破壊、環境破壊、そして多大な税金の投入。

原発の稼働率は50%程度です。数兆円税金を投入した「もんじゅ」は一度も稼動していません。

先日、映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を見に行ってきました。

舞台は上関。中国電力の原発建設予定地です。

110201_mit 原発は瀬戸内海の入り口にある、田ノ浦という美しい湾を埋め立てて建設されようとしています。

この原発予定地の真向かいに位置する祝島の人々は建設に26年間、反対してきました。

田ノ浦は海底から淡水が湧く多様な生物の楽園です。祝島の漁師とって最高の漁場です。

「一次産業は衰退する、このままでは祝島の明日は無い。原発ができたら雇用が可能。島を出て行った子供も呼び戻せる」との電力会社の呼びかけも、どこか空しさを感じます。

なぜ政府と電力会社はここまで原発に固執するのでしょうか?

原発なしに日本のエネルギーの将来は本当にありえないのでしょうか?

この映画では、そうした疑問に一石を投じています。

その答えは、スウェーデンという国にありました。

スウェーデンでは、国民投票で原発廃止を決めました。
そして、2020年までに石油にも依存しない社会づくりをめざしています。

日本とスウェーデンの違いはどこにあるのでしょうか?

スウェーデンにできて、日本にできないことがあるのでしょうか?

日本は自然エネルギー技術で世界一の国なのに...なぜ?...

この映画を通じて、我々は、環境破壊を根本から見直し、新エネルギーへのシフトの仕方を考えさせられます。

そして、エネルギーだけでなく、社会システムそのものをシフトしていかなければ未来がないことが理解できます。

社会のあり方、そして自然エネルギーへのシフトが可能なんだという思いが、こうした映画を通じて、ひとりでも多くの人の心の中に芽生えますように...

EarthDay Tokyo 2011

Images 今週末はアースディ東京2011が開催され、同時に反原発デモが行われました。

また、日本各地で同様のデモがあったようですが、これらデモの様子が大手マスコミで報じられることはありません。

原発の問題は電力会社の問題であり、電力会社から多額の広告料が流れているマスコミほど、事故の報道はできても、原発そのものを批判することは難しいのでしょう。

インターネットに動画は配信されるこうしたデモには、大学生などの若者や主婦、など、今まで原発や環境問題にあまり興味がなかったと思われる層が多数参加していて、福島の事故が大きく意識を変えたことがよくわかります。

その一方で、こうしたデモに、今の日本の経済を支えている30代~40代のビジネスマンらしき人は、あまり参加していません。

「反原発」活動は、どこか左翼的、過激なイメージがあるのでしょう。

会社や仕事関係の周りの人に聞いてみても、「反原発」にはあまり関心がありません。何かに抗議することは反体制派と見られるのが好ましくないようです。

経済人の大半は、原発の放射能問題が収束するなら、このまま現状維持がベストだと考えています。電力の問題で経済が停滞し、今の仕事や生活が変わることを彼らは恐れます。

そこには、原発以外に電力の将来はない、というマスコミのプロパガンダによる洗脳があります。

洗脳された企業人は、政府や経済界の言うことが正しいと信じ、というより思考停止に陥っているため「正しいと信じたい」、という気持ちが強く、今回の災害の根本的な問題について、深く考えようとはしません。

しかしながら、今の日本はこうした企業人が動かしているのですから、この中心層である人々の意識が変わらない限り、脱原発というのは難しいのではないでしょうか。

こうした企業人の意識を変えるのには、危険性を訴えるだけではなく、経済合理性をもって、原発を止めましょう、という論理が必要です。

原発廃止=代替エネルギーの導入なので、原発を廃止したいのであれば、原発を止めましょうというのではなく、先日ソフトバンクの孫さんが発表した「自然エネルギー財団」などのように、自然エネルギーを入れましょう、という言葉を全面に押し出すべきです。

 

デモなどで、若者が意識改革すれば、彼らが中心世代となるあと20年後の社会は大きくシフトするでしょうが、残念ながら、今の日本の自然環境やエネルギー問題においては、そこまで待てないというのが実体です。

国を変えたい、国のエネルギー政策を原発から再生エネルギーに転換さるのであれば、企業人のマインドにある、「再生エネルギーは経済合理性により日本の電力は支えられない」、という誤解を解かないといけません。

原発を止めるには、国民感情を草の根的に変革を促すと同時に、利権をもった政治家や官僚、経済界、特に経団連加入企業にとって、何らかのメリットを打ち出す必要があります。

そのためには、自然エネルギーの経済合理性と技術を、一般知識として経済界に認知させること、そして、自然エネルギー導入により、地域活性化、雇用創出、を生み出す必要があります。

こうした活動を仕事やネットでの情報提供を通じて今後もしていきたいと思ってます。

価値観

今回の災害でボランティアをやりたい人が増えています。

阪神大震災の時もボランティア志望の人はいましたが、当時と比べてボランティアを希望する人が増えてきたのは、混沌とした昨今の時勢と関係があるような気がします。

職がない、あってもやりたい仕事に就けなかった、高度成長期と違って何のために仕事をしてるのかわからない...こうした境遇にある人が、今多く存在しています。

そして、こうした境遇にある人々にとって、自分が社会に存在する意義を見つけたい、という思いがボランティアに自分を駆り立てっているような気がします。

そうした思いは人の価値観そのものです。

ソフトバンクの孫さんが100億円を寄付することで話題になりました。

それは人々に感動を与えると共に、孫さんの賛同者、いわゆるフォロアーと呼ばれる人々が、Twitterなどを通じて一気に広がりました。

彼のリーダーシップはどこから来ているのでしょうか。

それは人々をうまく束ねる力というよりも、彼の日本を救いたい、という愛国心に立脚した、その価値観にあるのだと思います。

リーダーシップにはいろんな要素が必要だといわれています。

仕事そのものができる力はもちろんのこと、人の掌握術やカリスマ性、人間性など...でも一番大切なのは、その人の持つ価値観ではないでしょうか。

価値観に共鳴した人は自然とまわりに集まってきます。そこには自然発生的なリーダーシップが生まれます。

会社におけるマネージメントはリーダーシップではありません。

今リーダーとよばれる人はどのような価値観をもっているのでしょうか。

会社トップの価値観は社員にシェアされてるのでしょうか。

人は誰かに認められたいという欲求がありますが、それが高じると、会社は上司に迎合して、言われるままに仕事をするようになりがちです。

いつのまにか自身の価値観を失ってしまいます。

結果、高い志=崇高な価値観をもっていない人は魅力がないため、こうした人が率いる組織は早晩弱体化していきます。

  最近話題になっているニーチェは、超人思想の中で、「伝統的価値に迎合し、群れて徒党を組む民衆に服することなく、現実を見つめる不撓不屈な精神を持つべし」と説いています。

すなわち、他者への迎合するのではなくことなく、自らの意思で行動すべきであると教えています。

他人によく思われたい、評価されたい、などでなく、ただひたすら自分の価値観にのみ従って生きていくことは、今の時代に最も大切なことのような気がしています。

自分の持つ価値観を他人に示し、その価値観に共有する仲間と一緒になって、互いにできることをやりながら、全員で何かを実現していくこおtが、今後の先行きの見えない社会における組織のあり方、そしてリーダーシップではないでしょうか。

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次世代のエネルギー政策

T060822h 最近ネットをみていると、原発賛成派と反対派の議論が活発に行われています。原発に対する考え方としては、

①原発を使わずして経済は成り立たない。今後も原発を推進すべき

②原発なんて危険なものは許せない。即時全廃。

③今すぐ止めれないが段階的に減らしていつかは廃止すべき

の3つに大別されます。

私は②に近いながらも③の論者ですが、①の原発推進派がまだもって主流派です。なぜなら、自民党政府、電力会社・経団連、そしてマスコミが数十年に渡り、こぞって進めてきた国策だからです。

また経済が第一優先の人々にとっても原発は必要悪との論調が目立ちます。

事故が起きる前、原発に反対することで議論が抹殺され、経済界には残れませんでした。「干される」というやつですね。

さすがに事故後は、そこまで強くはありませんが、識者、別名御用学者と呼ばれる人々は、今でもしきりに、「デマに注意」「当面健康に影響なし」「原発にかわるエネルギー施策はありえない」を連呼しています。

①の推進派の人は、原発のリスクは、他のリスク、例えば、飛行機事故よりも低いから安全であると主張します。

しかしながら、「リスク」には、自分で想定・覚悟できる範囲とそうでないものがあり、議論がごっちゃになっている気がします。

飛行機に乗るのは自分の意思です。確率はかぎりなく低いが、万が一をそれとなく自分で想定し、自己責任で搭乗します。

つまり、このリスクは想定できる怖さです。

しかし、今回の原発事故で被害を被った福島の人々は、自分の意思で被害にあった訳ではありません。

また、この地震のリスクは想定できる怖さでないところが恐ろしいのです。

原発は、放射能のことも含めて、素人には何も分かりません。

理解できない怖さなのです。

また、想定を超えた場合のリスクが大きすぎます。

今回4台ともメルトダウンして連鎖爆発してたらどうなってたでしょうか。

都市機能が停止したと思います。いわば、原発は、国そのものの存在リスクです。

原発は事故に備えて保険をかけるのですが、ロイズは一度断ったそうです。「活火山帯で地震大国の日本に原発はありえない」と...

化石燃料に頼れないからと、米国主導で、原発を推進したのですが、これだけ地震があり海に囲まれる日本に原発というのは、さすがにバランスを欠いた判断のような気がします。

原発推進派の人は、原発の発電コストが安い、それに対し、太陽光エネルギーは数十倍する、自然エネルギーが原発の代替など、ありえない、と主張します。

原発はKWあたり5-6円、風力は12-14円といわれてますが、この原発のコストには、国からの税金補助や事故時の対応費用、それに、使用後の核燃料の保管、破棄のコストが含まれていません。含めると倍になるといわれてます。

しかも、今回このような事故をおこしたので、今後、仮に原発を作るとしても、リスク対策と保険に相当な出費が必要です。

もはや、原発はコストコンシャスなエネルギーとは呼べません。

原発は建設してから大体40年という寿命があります。

今後日本に原発を増やすことは、経済合理性からも難しいでしょうから、すでに建っている原発はやがて老朽化し、結果的に原発は数十年後になくなります。

そもそも、原発開発には10年以上かかるのに対し、少子高齢化の日本においては、電気需要はこれから下がっていきます。この点からも、原発は必要がなくなります。

化石燃料もあと数十年で底をつくことから、次世代のエネルギー施策としては、自然エネルギーしかありません。

この自然エネルギー、日本では電力会社が否定的であったため普及してませんが、世界ではこの10年間に爆発的に伸びています。

風力発電の市場は毎年30%ずつくらい拡大していて、去年は世界全体で約2億キロワットです。原子力が約4億キロワットなので、風力はその半分まで来ています。

太陽光発電はまだ少ないながら、毎年60%ずつ増えています。

これからは、自然エネルギーを積極的に取り込む必要があります。

自然エネルギーは発電力が大きくなく、自然に発電量が左右されるため、不安定であるため、多用な自然エネルギーを分散配置することが必要になってきます。

そのためには、自然エネルギーの固定買取り制度(FIT)をより充実させること、そして、送電線の接続を保証することが重要になってきます。

ドイツなどのヨーロッパ諸国では自然エネルギーの買取価格が日本と比較にならないぐらい高く設定されています。そのため、個人、企業はこぞって、太陽光や風力などのエネルギー導入を進めています。

日本は発電、送電、配電が電力会社にて独占されてますが、分散型の自然エネルギーを導入・普及させるには、送電網を国のインフラとして自由化する必要があります。

NTTが、電話網の利用を開放したのと同じように、です。

今後は地方分権の元、自治体が、使う電力の種類と電気料金を住民の意思により決めるようになるべきです。

ある自治体は土地柄を生かし、風力発電で電力を多く作り、他の自治体に売電して予算をまかなう、といったことも可能になってきます。

これをローカルグリッド(地域別電力網)と呼びます。

ローカルグリッドの導入には国策が必要です。

ドイツは、炭素税を導入することで、自然エネルギーを進めて、27万人の雇用を生み出しました。

CO2を出す化石燃料から自然エネルギーにシフトさせるかわりに、炭素税を企業年金の補助に割り当てました。

アルバイトを雇っていても助成金がもらえないため、各企業は、正社員に雇用を切り替えた結果、25万人の雇用を創出しています。

国策一つで、雇用創出、経済活性化、自然エネルギー普及、の3つを同時に実現しました。

日本も、ドイツのような斬新な国策を打ち出すことができれば、次世代のエネルギーシフトが必ずできるので、ぜひ今回の震災を機に、きとんとした国策を打ち立ててもらいたいものです。


電力の今後 -スマートグリッド社会-

Photo 計画停電が落ち着きつつあります。

春に入り暖房に使う電気使用量が減ってきたからでしょうか。

しかし、夏になると再び計画停電が必要と東京電力は主張しています。

今度は23区も対象となるとのこと。

福島原発が稼働しない限り、夏のピーク需要には耐えられないとの見解です。

本当にそうなのでしょうか?

日本は30%の電力を原子力に頼っています。

東京電力では、火力、水力発電所を稼働させても、需要に満たないと発表していますが、どうもそうではないようです。

計画停電というのは戦後初めての出来事ですが、2003年に、東京電力は、原発不祥事や定期メンテナンスのために東電の原発17基すべてを停止しました。

真夏の電力需要ピークの時期でしたが「計画停電」はありませんでした。

火力や水力発電所の稼働率を上昇させて対応したからです。

2011年の現在、電力消費量は2003年より大きくなっていますが、それでも、火力発電所の稼働率を70パーセント以上にアップすれば、計画停電は必要ないとの試算があります。

東電は稼働率を公表せず、火力だけでは足りないと主張していますが、どうも話は違うようです。広野、常陸那珂、鹿島等の火力発電をフル稼働させれば原発は必要ありません。

火力発電所のフル稼働を、あと数カ月でできないとしても、解決策はあります。

電力需要の大半は工業用です。家庭用ではありません。

家庭の節電を呼び掛けてますが、そんなことより、東京電力が契約している200弱の大口需要家、すなわち工場に対し、電力使用ピークの平準化を交渉すれば、計画停電は必要ありません。

交渉がうまくいかないようであれば、法人利用の電気料金体系を変更すればいいだけです。

家庭用と違い、使えば使うほど安くなる今の法人電気料金体系を、使えば使うほど高くなるように設定すれば、需要は確実に押さえられます。

地震大国である日本では、どう考えても原発をこれ以上使うべきではありません。

そうはいっても、化石燃料である火力発電では、先が見えているし、不安定な中東情勢に左右されます。水力発電もこれ以上大型ダムは自然破壊になるため得策ではありません。

こうした背景により、再生可能エネルギーが注目されています。

太陽光、太陽熱、風力、地熱、波力、といった発電です。

現状、これら再生可能エネルギーは発電効率が悪いため、主力電力として採用できないというのが常識になってますが、それも過去のことになりつつあります。

これは一部有名は話になってますが、東電が東大に委託して犬吠埼に風力発電を数十機建てた場合は、発電量はどれぐらい得られるかを調査したところ、東電の全発電量がカバーできるとの試算データが出ました。

http://www.jstage.jst.go.jp/article/jwe/32/2/63/_pdf/-char/ja/

Newrepo_i09 風力発電には、低周波被害とバードストライク(鳥がぶつかる事故)という弊害があるので、大規模に向かないという話がありますが、最近では、「スパイラルマグナス」という風車が開発され、これら問題はクリアできています。

http://www.mecaro.jp/product.html

また、田中優さんに聞いたのですが、九州大学では水に浮くカーボンファイバーを海上に並べ、勝手に発電して送電するという仕組みを完成させています。

O0480036010206617063 日本の海岸はドロップオフが深く、風力発電所を海岸に設置する場合は工事が大変ですが、こうした海に浮くタイプであれば、設置コストの問題もクリアできます。

太陽光を家庭に設置し、EVで夜間充電することで、家庭の電気の半分はまかなえますし、これに加えて、周りを海に囲まれた日本においては、こうした風力発電の仕組みが向いています。

現在電力は自由に買えません。首都圏の住民は東京電力からしか買えません。

日本では電電力会社が、発電、送電、配電を実質独占しています。

ところが、海外には、地域が好きな電力会社から電力を買うことができる国があります。

日本も電力会社の電力独占をやめて、送電線を民間に開放し、地方自治体で、独自に発電の仕組みを整備する社会が望ましいと思います。

そうなれば、住民の総意として、危険な原発から電力を買うか、価格が多少高くても安全な自然エネルギーで発電するか、の選択権が地域単位で得ることが可能になります。

いわば、電力の地産地消です。

こうしたスマートグリッドと呼ばれる新しい社会を今回の事故をきっかけに、地方自治の活性化と共に推進できれば、電力問題はきっと解決できます。

ブラックスワンが来る前に

3845kokuchou17_2 最近ニュースで、「直ちに体に影響を与える数値ではない」というフレーズを毎日のように耳にします。

「直ちに」ではないけど「10年後」には影響を与えるの?という不安をかえって感じる人もいるようです。

では10年後にはどの程度影響を与えるのでしょうか?

医療行為以外に一般人が浴びてよいとされている放射線の国際基準は、年間で1mシーベルトと決められています。

福島市の住民は毎日10-30μシーベルト/時の放射能を浴びてます。このペースで浴び続けると、年間では1mシーベルトの数十倍という基準値を「はるかに」超えた放射線をうけることになります。

それでも、ニュースに出演する教授や専門家は「安全」と語ります。

では、この国際基準は何の意味があるのでしょうか?

安全であれば、そもそも基準値は不要です。

TVに登場した「先生」は、影響を定量化した、以下のようは発言をされてました。

「100ミリシーベルトの放射線を浴びても、100人に1人しかガンを発症しません。日本人の3人に1人はガンになります。つまり、放射線を被曝しなくても、100人のうち30人がガンになるのだから、騒ぎ立てるようなものではない。」

なるほど一考、論理的です。

でも本当に騒ぎ立てるものではないのでしょうか?

福島県在住の住民100万人は、確実に発ガン率があがることは、高々1%だからたいしたことではないのでしょうか?1%ということは、1万人が福島原発が原因で発ガンすることになります。

それは高齢でガンにかかって死ぬのではなく、5年後、10年後のまだ若い人に降りかかる悲劇かもしれないのです。

この「先生」の言うことが正当化されるということは、1万人の命など、たいした問題ではないとも聞こえます。

本当に「騒ぎ立てることではない」のでしょか?

1万人が多いか少ないか...私は十分大きなリスクだと感じます。

影響の定量化といえば、先日、コンサルティング会社から転身した最近著名な経済評論家が、原発のリスクについて、リスクを定量化することで、原発に過剰反応すべきでない、との意見を主張していました。

・原発での死者はチェルノブイリの事故だけで日本の原発の死者はゼロである
・火力発電の燃料を採掘する炭鉱では毎年崩落事故があり多くの犠牲者が出ている
・石油の採掘も危険な作業であり、メキシコ湾原油流出事故では多くの犠牲者が出た

だから原発は決して危険ではない、枯渇する化石燃料にかわって、国家の電力を担う原発は決して否定されるものではないと。

それに加え、「自動車の交通事故は、原発とは比較にならないぐらいの年間5000人以上の犠牲者がでていますが、だからといって車に乗らない生活はできますか?」とも。

「原発のリスクは冷静に考えるとかなり低い。我々は今回の事故を顧み、より安全な原発と共に経済を成長させなければならない」と主張する学者もいました。

論理的にこうした定量化された議論は正当化されそうですが、本当にそうなのでしょうか?

こうした議論には根本的な前提の欠如があると感じてます。

それは、「今までの経験」からリスクを定量化していることです。

今後は津波も想定して安全性を高めるのでしょう。

想定できる範囲ではある程度安全なのかもしれません。では、今後発生する震災はすべて想定できるのでしょうか?

ブラックスワンという言葉がかつてブームになりました。

白鳥は白いから白鳥でした。しかしある日突然黒い白鳥がやってきたことにより、白鳥は白鳥でなくなりました。

自然は、地球は、人間の英知を超えた存在です。

我々人間が地球の活動を完全に想定しコントロールできる、と考えるのは荒唐無稽です。

原発はそこに存在する限りリスクはゼロにはなりません。

原発が恐ろしいのは、リスク想定を超えた場合の影響が、日本という国家そのものの存在リスクになるからです。

今回の事故も一歩間違えれば、再臨界していた可能性もありました。再臨界して、6発の原発が爆発していたとしたら、国家機能が棄損していました。リスクを定量化して原発は安全だと議論している場合ではありませんでした。

次に新たなブラックスワンが舞い降りる前に、人間の力で完全にコントロールできない原発という存在を、代替エネルギー政策を通じて、真剣に見直すべきではないでしょうか。

プラスの想念の大切さ

Images 震災はまだ収まる気配をみせてない。

ここ数日、テレビは震災被害の方々の悲しみや、原発の放射線漏れの恐怖、そして、twitterでは毎日、毎時間、様々情報が目の前に表示される。

こうした情報やニュースに毎日接していると、大概の人は何らかの恐れを感じてしまうのではないだろうか。

恐れが強い人は、自が見たくないこと、聞きたくないこと、を一切遮断してしまうが、そこまで恐れが強くない人は、情報をつい追ってしまう。

恐れは人間の防衛本能であるから、当然のことであるが、あまりにこうしたマイナス情報を断続的にインプットしていると、心身共に、少しおかしくなりかねない。

人の恐れはマイナスのエネルギーそのもの。

テレビやパソコンの前で恐怖を感じる人が、ネットや口頭で、その恐怖を伝えたり、入力すると、そのマイナスエネルギーは他人に伝播する。

これが拡大すると、日本全土に「不安」というマイナスエネルギーが広がり、様々な事象を良くない方向に動かすのではなかろうか。

それが極大化するとパニックにもなりかねない。

だからこそ、テレビで放映される悲しい映像や報道、インターネットの脅しともとれるような噂などに流れる「不安や恐怖の波長」に、自分の心のスイッチをあわせないように気をつけないといけない。

日本はきっと良くなる、と誰もが思うこと、信じることで、災害や原発の問題も収束に向かっていくのではないだろうか。

人々の心の持ち方、想念が世の中の事象を動かすこともある。

こんな時だからこそ、前向きに考えていきたいと思う。

マインドコントロール

今日テレビで福島原発関係のニュースを見ていた時のこと。

「原発より30キロ地点で18日に150マイクロシーベルトを観測されましたが、レントゲン1回で50マイクロシーベルトだから、3回分です。体に影響ない範囲です」とのアナウンサーのコメントがあった。

いたずらに視聴者を不安にさせない配慮なのか、報道規制なのか定かではないが、さすがに、こうしたコメントには理解に苦しむ。

150マイクロシーベルトは1時間当たりの量。

その場所に1ヶ月生活すると、150×24×30=108000マイクロシーベルト、すなわち、108ミリシーベルトが体に蓄積される。

この数字は、1年間の一般生活者の許容量は国際基準において1ミリシーベルトなので、一ヶ月で年間許容量の100倍にあたる。

一ヶ月中、屋外にいる訳ではないので、1/10に割り引いても10倍。年間だと1年間許容量の実に120倍もの放射線を体に浴びることになる。

これでも本当に安全といいきれるのであろうか?

どれぐらいなら安全なのかは実のところ、正確にはよくわからない。体質や、年齢によって異なるからだ。

テレビにでるアナウンサー、解説員、大学教授、など、はある程度、言論統制を受けるのが普通である。

言いたいことも言えない、そんな人々の言動はあまり信用がおけない。

そうなると、メディアと利害関係のない人々、すなわち、テレビで解説していない技術者、放射能技師、原子力問題を何年も追っかけているジャーナリスト、など、の発言の方が信頼できる。

何人かの信頼できる識者の意見を参考にすると、現状は、1マイクロシーベルを超えたら少し警戒したほうがいいのではないか。

現在放射線量は、落ち着きをみせてはいるが、数値はモニタリングポストの値を時々チェックすべきである。

すべては自己責任の社会だから。

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日本から世界へ

O0500056711106434847 東北の大地震震災から3日目。

福島第一原子力発電所が機能停止したのを受け、東京電力は、首都圏で今日から計画停電を予定していたが、計画停電はほぼ未実施に終わった。

ピーク時の想定需要は4,100万kW、それに対して実際の需要は2,800万kWとかなり下回り、十分に現在の供給可能電力でまかなえた。

本日、会社のオフィス、スーパー、駅、どこも暗かったことからもわかるように、至る所で省電力を意識する光景が見受けられた。ほぼ全員といっていいぐらい、節電に協力していたのではなかろうか。

その結果、計画停電は不要になった。

節電しよう!という呼びかけに対し、国民が一丸となって協力した。

こんな国は日本において他にはないのではなかろうか?

金曜日、徒歩で会社から20キロの道のりを歩いて帰宅したが、その途中で、コンビニで食料を譲り合う人達、自分の店を休憩場所として解放する店主、交差点でゆずりあうドライバー、陸橋をあがる老人を支える若者...互助の精神にあふれた人々をたくさん見かけた。

海外のメディアはこうした日本人の精神を褒め称えていたが、こうした誉れ高き無私の精神が今後の混沌とする世界には必要になってくる。

こうした精神をもつ日本人こそが、資本主義が崩壊し、新たな局面を迎える、これからの世界をリードしていくのではないかと思う。

節電しようと思えば、日本人は節電できるのだ。

これを機会に、全国の原発を停止してはどうだろうか。

そもそも、今回の計画停電不要からもわかるよう、少し節電すれば、日本は、原発が必要ないのである。夏の数日間というピーク時を乗り越えることができれば、水力、火力だけでも何とかやっていける。

日本の原子力発電所の稼働率は低い。過去の事故が原因で50%ぐらいしか稼動できていない。稼動していないにもかかわらず、維持メンテナンス費に、我々の税金が使われているのである。

日本人の素晴らしさ、そして原発の恐ろしさ。この2つを、今回の災害の学びとして、全世界に広げていくことで、社会が、世界が、大きく変わっていくことを期待している。

災害を通じて

2011年は苦難、激変の年といわれていたが、早くもこのような形で思い知らされるとはというのが今回の地震の第一印象。

テレビで報道される東北地方の無残な光景には目のやり場がない。

東京でも未だかつて感じたことのない揺れを体感した。

地下鉄やJRの復旧目処が立たないので、安全の面でも会社のビル内に留まる選択肢もあったが、あえて20キロの道のりを歩いて帰宅することにした。

交通網がストップした時に、どのような事が道路上で発生しているのか、徒歩帰宅がどの程度大変なのか、を体感したかったからだ。

もし、直撃型地震が起きたら、道路はどうなるのだろう?と心に思い浮かべながら、周辺を念入りに確認しつつ、帰宅の途についた。

歩くと疲れるのだが、休憩スペースがほとんど存在しない。ベンチは道路沿いにはなく、休憩に入れる適当な店もない。トイレもほとんどない。インフラの緊急時対応が未熟であることも痛感した。

携帯がまったく繋がらないので、公衆電話には多数の行列ができていた。公衆電話は携帯の普及とともに、設置台数が少なくなっている。

早急に政府は、国策の一環として、緊急時対応インフラの整備をする必要すべきである。営利企業であるNTTやKDDIでは整備できない。

今回の災害で一番稼動したのはインターネットである。ほとんど普段とかわりなく利用できた。

網の目のネットワークは、災害時にも迂回路を見つけて繋がる。緊急連絡網はこのインターネットを中心にWIFIスポットを各地に設け、無線LAN経由での連絡が一番災害に対応できるのではないだろうか。

政府にはこうしたインフラ整備をぜひお願いしたい。

首都圏直下型地震もいつか起きるかもしれないからだ。

地震が起きれば、もちろん地震による建物崩壊などの危険があるのだが、それよりも怖いのは、今回も起きた火山の噴火、津波による被害、そして、原子力発電所からの放射能漏洩、である。

富士山が噴火すれば、火山灰で都内全域は灰に埋もれるであろう。

首都圏への津波も恐ろしい。足立区、葛飾区、江戸川区、墨田区、江東区には海抜ゼロ地域に150万人が住んでいるからだ。

そして、原子力発電所の問題。福島では既に放射能の漏洩が始まっている。

CO2対策としての原子力発電の推進は根本的に間違っている。政治と利権の思惑の中で環境問題はおかしな方向に進んでいる。

原子力はCO2以上に、我々にとって危険な存在なのだから、電気料金があがる、ピーク時に規制がかかる、など、多少の不便は覚悟で真剣に原発の廃止を検討すべきであろう。

こうした災害がきっかけとなり、原子力反対の世論が大きくなることを期待する。

ロジックと信念

先週のカンブリア宮殿は、前外務省事務次官の薮中三十ニ氏。

面白かったのは2003年の六カ国協議の件。

この会議は北朝鮮の原子力のことが議題だった。

しかし、当時の日本での北朝鮮に対する懸念事項は拉致問題。

拉致問題を六カ国協議の議題でどうしても取り上げたい。

「日本にとって拉致被害者は大変な問題だ、ぜひ話題にしてほしい」といっても中国やロシアは相手にしない。

そこでロジックを考えた。

・北朝鮮の原爆に転用可能な原子力の開発を止めたい

・止めるためには何らかの経済援助との引き換え条件が必要

・経済援助は日本がするが、それには日本国民の感情整理が必要

・よって議題に拉致被害者問題を取り上げるべき

このロジックを薮中氏は反対国に説いて周り、見事議題に加えるさせることに成功、その後の5名の拉致被害者帰国に繋がった。

文化や考え方の違う人々の意見を纏めるには共通言語が必要である。

言語的には英語かもしれないが、その上でどう話すかにおいては、万国、万人に共通なロジック、すなわち論理力が必要である。

外務次官まで登りつめた交渉のプロが言う言葉だけに説得がある。

ロジックはビジネスにも必要である。

日本人は1言えば10伝わる文化に立脚した仕事の仕方が多いが、最近の多様性の中で、企業内のコミュニケーション1つとってみても、ロジックがないと、コミュニケーションが取れなくなってきている。

その結果、物事が決まらない、決めれない会議ばかり。

生産性の悪いことこの上ない。日本の仕事の生産性は先進国において今や一番低い国になっている。

GDPも年々低下している。

ボーダレス社会になる中、このままでは日本は取り残されるであろう。

仕事にロジックは大切である。

何か考えるとき、何かを書くとき、何かを説明するとき、そこにロジックがあるかどうか、それを常に意識しないといけない。

ロジックに加え重要なのは、そのロジックを支える信念だと思う。

考え行動する上での信念があり、その信念の上にロジックを作って相手に交渉する、説得する、プレゼンする、そうしたことが相手を動かす唯一の手段ではないだろうか。

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